自分自身になるために、生まれてきた。

きっと自分は、自分自身になるために、この世に生まれてきた。 生きるとは、自分にとって、自分が自分自身であるということなのだから。 世界でたった一人の、かけがえのない、ありのままの自分であるために。

アダルトチルドレン 3

こういう家庭の中で、いつも父の気分に合わせなければならず、自分をなくし続けたおれは、大きくなってもそうだった。

家庭の外でも、いつも他人の顔色ばかり伺い、他人に迎合し、他人に嫌われないように振る舞うことしかできなかった。

おれには、自分自身がなかった。

自分の感情も、言いたいことも、ずっと抑えこみ、他人に譲ること、他人を優先することばかりを、無意識に繰り返すだけだった。

そればかりか、おれは、道化役まで演じた。

自分が他人に見下される惨めな役を演じることで、他人の気分を損ねないと考えていたからだった。

自分にとって、この世界は恐怖に満ちたものだった。

自分の心の根底には、いつも他人に見捨てられることに対する恐怖があった。
そして、他人に見捨てられたなら、自分はもう生きていけないという間違った思い込みもあった。

すべては、幼い頃育つ中で、自分に強く刷り込まれたものだった。

おれの生きるすべては、他人に嫌われないためにあった。
だから、おれは、長い間ずっと自分を殺し、道化役を演じ続けた。

高校時代暇さえあれば、おれは、何人かのクラスメートからよく両足を持たれ、3階の窓から釣るされた。

その時も、決して嫌とは言わなかった。
むしろ自分から進んでそうされていたのだ。

他人は、おれを面白がった。
おれを見下し、あざ笑った。

でも、実は、おれ自身でさえ、進んで自分のことを馬鹿にし、他人と一緒になって自分のことをあざ笑っていたのだ。

いつの間にかおれは、高校時代、そのまま、「ピエロ」というあだ名で呼ばれていた。

しかし、それは、自分にとって本当は心の底から嫌で、屈辱的なあだ名だった。

おれは、自分が嫌なことをされても、他人に嫌と言えなかった。
他人の機嫌を損ねないように生きてきた。

そればかりか、他人に自分を軽く扱われ、笑われるように振る舞ってきた。

生き続けていく方法として、その時は、それしか自分には選べなかった。
そこからどうしても外れることができなかった。

どうあがいても、それは条件反射が、心の奥に染み込んだように強力に作用していて、変えることができなかった。

苦しかった。
悔しかった。
でも、その時の自分を変えることは、とてつもなく怖かった。

だから、違う生き方に憧れていても、その時の自分には、決して選べなかった。

その度に、おれは、顔で笑っていても、心の中ではずっと泣いていた。

そして、その素顔もまた、決して他人に見せることはなかった。

まさしくピエロそのものだ。

アダルトチルドレン 2

幼い頃、父が仕事から帰ってきた時、おれがやることは、いつも父の顔色を伺うことだった。

父の気分が悪い時、うちは地獄だった。

父は毎日酒を飲み、その日嫌なことがあった時には、決まって母に絡んだ。

そして、母の一生懸命に作った夕食の盛った皿を一つ一つ手に掴んでは、台所の流しへと力任せに投げて、割り続けた。
衝撃で皿は粉々になり、料理はあたり一面飛び散った。

父は怒鳴り続け、母は泣いていた。

まだ子供だったおれも、何もできなかった。
ただ泣くしかなかった。

その後、おれは父によって台所の床下によく長い間、閉じ込められた。
父が疲れて眠り、母が密封したままの床板を外して助けにくるまでおれは真っ暗な中、泣き続けた。

アダルトチルドレンの概念でいえば、
まさしくうちは、機能不全家族だった。

父が子供で、それ以外の家族が親の役割をしなければならなかった。
子供のおれが、子供らしさを安心して出せるわけがなかった。

子供のおれが、逆にその時の父のように振る舞うことは決して許されなかった。
その頃子供だった自分が、子供のようにその時の自分の感情を、いつでも自由に出すことはあり得なかった。

子供の頃のおれは、自分の感情を抑えて生きることが最優先だった。
その時は、それが自分にとって最も安全だったからだ。

だから、おれは、自分の本当の感情を感じなくした。
自分の言いたいことを言えなくした。
本当の自分を殺し続けた。

そして、おれは結局、自分自身をなくしてしまった。

アダルトチルドレン 1

アダルトチルドレンという言葉を知った時、まさしくそれは、自分のことだと思った。

アダルトチルドレンとは、もともとはアメリカでアルコール依存症の親を持つ子供たち(ACOA)が大人になった時の生きづらさを表す言葉だった。

しかし、現在では、特に日本では、もっと広い意味で、子供が幼い頃安心して子供らしさを出せない家庭(機能不全の家庭)に育った子供たちのことを指している。

子供が子供らしさを安心して出せない家庭としては、親がアルコール依存症の場合だけではなく、親から肉体的あるいは心理的な虐待を受けたり、見捨てられたり、両親の中が悪かったり、家庭内に不和があったりなど、いろいろなものがある。

いずれにしても、子供が安心して子供らしさを出せないのは同じだ。

そして、自分の育った家庭もまた、そういう家庭だった。

本当のことを言うと、おれはずっと自分が嫌いだった。 2

自分の弱さを受け入れるのではなくて、自分の弱さを嫌っている自分を受け入れることができた時に、おれは楽になることができた。

その時、最も大切なことは、自分の心の中のものに正直に向き合い、そのすべてをありのままに受け入れるということだと知った。
そして、それは、自分を受け入れたくない自分というものさえ、そっくりそのまま受け入れる、ということなのだと。

自分を嫌いな自分がいてもいい。
自分を無理に好きになる必要もない。
自分の心の中にあるものを、ただ正直に認めるだけだ。

自分自身を愛するとは、自分を無理に好きになろうとすることではなく、自分の中にあるいろいろな感情を、そのまま受け入れてあげることなのだ。
大切なことは、自分の心の中を誤魔化さないということだ。

それができた時、自分が大きく変わった気がした。
なぜなら、それができる自分とは、今までよりももっと視点の高い所から、いろいろな自分を俯瞰できる自分なのだから。

そういう自分にとっては、自分の弱さも、強さも、ただありのままにあるものに過ぎない。
そして、そういう自分だからこそ、自分をありのままに受け入れることができるのだ。

また、不思議なことに、今までの自分に対する印象も変わった。
嫌いだった自分の中の弱い自分でさえ、好きになれなくてもそれがあったから、本当の自分自身の強さが持てるのだということにも気づいた。

俯瞰できる自分になることが、変わるということの本質なのだ。
結局、変わるとは、今までの自分から、より高い視点を持った自分自身へと抜けることなのだ。

そして、そういったすべてが、自分が、自分自身へと近づいていく過程なのだ。

本当のことを言うと、おれはずっと自分が嫌いだった。 1

おれには過去にずっと誤魔化していたことがあった。

それは、自分が、心のどこかでずっと自分の弱さを認めていたことだった。
自分が、実は、心の奥ではいつまでたっても自分は弱くていいのだと思い続けていたことだった。

自分の悩みと苦しみは、自分の中の弱さが引き起こしていた。
それなのに、自分は弱くても仕方ないと、どこかでずっと思い込んでいた。
仕方ないとは、あきらめたということだった。
あきらめたら、自分の弱さを容認しているということと同じだ。

おれの場合は、きっぱりと弱い自分を否定しなければならなかった。
弱い自分ときっぱりと決別しなければいけなかった。
それができなかったから、自分はずっと変わらなかったのだ。

そう気づいた時に、やっと出てきた感情があった。
自分は、こんな弱い自分のことが本当は嫌いだったということ。

おれは、弱さに固執するがために、自分を他人につけ込ませ、自分を他人に軽く扱わせてきた自分のことが大嫌いだったのだ。

弱い自分こそ、他人に自分の魂を売った張本人だったのだ。
弱さというものにいつまでも執着し、それをやり続け、自分自身に莫大な損害を与えてきたこの弱い自分を、おれは実はずっと憎み続けていたのだ。

もうすぐにでもそういう自分を殺したいほどだった。
驚くべきことに、それがその時のうそ偽ざる自分自身の本当の気持ちだった。
自分自身の本当の気持ちに、その時おれはやっと触れることができた。

セラピーや自己啓発などでは、よく自分を好きになれとか、自分を愛せとか言うけれど、当時のおれのように弱い自分に辟易してる人にとっては、正直そんなことできるわけがないじゃないか。
悩みや苦しみを絶えず自分自身にもたらしていたのは、いつだってそういう弱い自分だったのだから。

そして、自分に対するそういう感情がある以上、どんな感情であっても決して誤魔化さず自分でそれを正直に受け入れることしかない。
自分の中にあることをありのままに認めることからでしか、きっと救われない。

それができなければ、本当の意味で、自分が自分自身ではない気がする。

誕生日

先日は、自分の誕生日だった。

自分の誕生日だからといって、正直あまり感慨がない。
心に深く感じたり、しみじみとした思いがある人は、そう思えるような人生を歩んできた人だろう。

例えば、何かを達成してきたとか、あるいは、波瀾万丈な末、幸せになったとか、ある程度満足したところのあった人達だろう。

ところが、過去の人生を振り返ると、おれには満足できることなんてほとんどなかった。
やりたいことはことごとくやれず、言いたいことは言えず、何も動けず、人間が苦手で、社会が怖くて、他人の顔色を窺ってばかりの虚しい人生だったと思う。

誇るべきものなんて思い出すこともできない。
達成したことなんて何もない。
惨めな人生だった。

でも、こういう人生を送ったものでなければ、絶対にわからないものがある。
生きているだけで価値がある、なんて言うのは、それ以上に人生にプラスがある人間だけだ。

人生のほとんどをマイナスの経験をした人にしかわからないものがある。
それだけは、今の自分にはわかる。
そして、おれにあるには、それだけなのだ。

だから、おれはそこからやっていくしかない。

そんなガラクタのような経験と、そこから自分がどう変わり、そして、これからどう変わっていくのか、それだけが自分の持っているものなのだ。

そして、それを発信していくことが、以前の自分と同じような人生を送っている方たちのためにどこかでなっているのなら、おれはこれを発信し続けようと思う。

東京の冬

朝から静かだった。
目覚めても、しばらくそのことに気がつかなかった。

ベッドの中で横になったままじっと耳を澄ませてみると、
ガラス窓と障子を通していつも聞こえてくる、家の外からの音が、ほとんどない。
静まり返っている。
車がアスファルトの地面の上を走り去って行く音が、時折するだけだった。

起きて窓の外を見ると、
青く澄み渡る空が見え、
すっかり葉っぱを落とし枝だけになった林が見え、
そして、濡れた路面が見えた。

一昨日、東京も雪が降った。
それは降ってもすぐに融けてしまい、ほとんど積もることはなかった。
道路以外の所には、ちらほら白く積もっている所も見受けられたが、あまり大したこともなかった。
そして、昨夜も夜遅く雨が降ったのだろう。

天気予報を見ると、信州は雪だった。
東京と違って、冬は雪がよく積もった。

そこで自分が生活していたことを思い出す。
冬になって、その積もった雪の上を歩いたり、
自転車に乗ったり、
車を運転していたことを思い出す。
信州と違って東京は雪が積もらない分、生活するのは楽なのだろう。

ふと気づく。
自分が今、東京で暮らしていることがとても不思議だ。
何年か前には全く思いもしなかったことだ。
人生とは、本当はそういうことの繰り返しなのかもしれない。
だから、面白いとも言えるのかもしれない。

自分はこれから再びどこへ行くのだろうか。
そして、一体どうなっていくのだろうか。

それは、いつも謎のままだ。
きっとこれからも。

7年後の空

昨日1月10日は、母の命日だった。


テーブルに置いた母の写真の前に、白い薔薇を一輪飾った。
その隣に母の好きだったお茶を入れてから、おれは両手を合わせた。

風の強い日だった。
部屋の中は、静かで穏やかな時間が過ぎていった。


母が亡くなったあの日が、今鮮やかに蘇っていた。

時々壁の時計を見ながら、
あの日の同じ時間に何が起きていたのか、
その時自分はどうしていたのか、
おれは思い出していた。


あの1日は、もう7年前になっていた。

こうしてみると、随分と月日が経ったような、
ついこの間の出来事であったような、
不思議な感覚だった。


どの場面も、ありありと思い出すことができた。

すると、今でも自分がそこにいるかのように、
あの時と同じ感情や思いが、
自分の中から湧いてきた。


おれは、きっとこれから先も決して忘れることはないだろう。
かけがえのない愛するひとを失った悲しみを。
どうしようもなくやり場のない悔しさを。

そして、その時の気持ちや思いを深く胸に抱いて、
これからを生きていくだろう。


おれには今、はっきりとわかる。
悲しみや悔しさが深い分、
きっとそれは、未来の喜びに変えていくことができるのだと。
そして、それこそが、母が本当に願っていてくれたことなのだと。

そんなことを思いながら過ごした1日だった。


気づくと、壁の時計は、夜の12時を過ぎていた。


朝起きて、外を見た。
太陽がまぶしく輝いていた。

頭上には、あの日から7年経った空が、
どこまでも果てしなく広がっていた。

浮かび上がるために必要なこと

誰もいない嵐の海の中を、おれはさまよった。

そこは夜もなく、昼もなく、ただ苦しみだけが渦巻いていた。
おれは絶望の中で、見えない恐怖にただ凍り付いたまま何もできなかった。

自分自身さえ剥奪されたおれは、終わりなき闇の中でただもがいているだけだった。
いつからか涙も涸れてしまった。

あれから、どれくらいたったのだろう。
おれは今、思う。
自分は、もう十分代償を支払ったのだと。

それは、幸せになるための。
自由になるための。
自分自身になるための。
そして今、過去のすべてが正しかったのだということも。

浮かび上がるためには、一度沈む必要があるのだ。

過去のすべては、今この瞬間の自分を輝かせるためにある。

今思うと、おれは、最愛の母が亡くなった喪失感をずっと、父を憎み、自分を責めることで埋めようとしてきた。


実は、罪悪感こそが、どんなに大切なものを自分は失ってきたのか、ということをおれに教えてくれた。

そして、憎しみこそが、おれに愛を気づかせ、あれからの自分を支え、この世に生かしてきてくれたのだ。

ということは、憎しみも、罪悪感も、今までの自分にとっては、なくてはならない必要なものだったということになる。

過去の一切は、今この瞬間の自分を輝かすためのものだったのだ。


今のおれは、自分にとって大切なものが何かわかるようになった。

そして、おれは、今この瞬間、自分がここに生きているというだけで、何物にも代えがたい無上の価値を感じるようになった。

それはすべて自分が悩み、苦しんできた過去のおかげだ。

すべては、今の自分にとって、必要な経験だったのだ。


あの頃から抜け出した今だからこそ、初めて言えることがある。

自分はずっとずっと苦しんできてよかった、と。
悩んできてよかった、と。

他人を殺したくなるほど憎んだことも、
自分を死にたくなるくらい責め続けたことも、
今のおれには、すべていい経験だった、と。

すべては、今この瞬間のためにあったのだから。

今のおれは、素直にそう感じている。


人生に無駄なことはない、と言う言葉に、おれはよく出合った。

そういうことを言う人にも出会ったし、いろいろな本にも載っている。

しかし、おれが今やっとそう思えるようになったのは、おれが自分の人生の中で高すぎる代償を払ったからだった。

この人生には、代償を払ってやっとわかることがある。

そのことを本当に感じるために、おれには多くの経験をする必要があったのだ。
それがたとえどんな辛い経験であったとしても。


そして、そこから抜け出した時、きっと人は、初めて過去の一つ一つが、実は今の自分を輝かすための、かけがえのないものだったことに気づくのだ。

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