自分自身になるために、生まれてきた。

きっと自分は、自分自身になるために、この世に生まれてきた。 生きるとは、自分にとって、自分が自分自身であるということなのだから。 世界でたった一人の、かけがえのない、ありのままの自分であるために。

気がつくとおれは、あの頃の父と自分を許していた。 2

おれは思った。
あの時、果たして父とおれは、母に対してどんな思いを持っていたのだろうか、と。

おれたちは、母に対して、不幸になってほしいと思っていただろうか。
苦しんでくれ、と思っていただろうか。
死んでくれ、と思っていただろうか。

そんなはずはなかった。
そんなことを思うはずもなかった。
二人とも、そんな意思は決してなかったのだ。

おれたちは二人とも、母には一刻も早く健康になってほしかっただけだった。
母に早く元気になってほしかった。
いつまでもずっと笑顔のままで、ずっと長生きしてほしかった。
幸せな人生をずっと歩いてほしかった。

それだけだったはずだ。

そして、父とおれだけでなく、母も、兄も、みんな心の底で家族が幸せであることをいつも望んでいた。
お互いが、家族一人一人の幸せを心から望んでいた。
そのことに、おれはやっと気づいた気がした。

心の奥にあったそれこそが、唯一の真実だったのだ。
そして、きっとそれが、すべてだった。


ただ、あの頃の父も、おれも疲れていた。
疲れきっていた。
そして、あの頃のおれたちには、自分と相手の心の奥底を推し量る余裕すらなかった。

でも、そんな中でも、おれも、父も精一杯だったことだけは確かだった。
あの状況の中で、二人とも母に対して、家族に対して精一杯のことをしていたのだと、今おれは思う。

だから、母が亡くなったことは不可抗力とは言わないけれど、その時のことは仕方がなかったのだと、今のおれは正直に思えるようになった。

あの時は、父も、母も、おれも、みんなぎりぎりだった。
そして、それがどんなかたちであれ、みんな一生懸命生きていたのだ。

だから、おれはもう、あの時の父を許せると思った。
そして、あの時の自分のことも許せると思った。


あの頃、みんな心のずっとずっと奥で、お互いの幸せを願っていた。

どうすれば家族が幸せになるのか、それぞれ一人一人が一生懸命考えていた。
母も、父も、おれも、兄もあの時精一杯のことをやっていたのだ。
一生懸命生きていたのだ。
ぎりぎりまで。

ただあの時は、それが思うようにならなかっただけだ。
あの時、たまたまうまくいかなかっただけなのだ。

結果が、すべてではない。
きっと大切なことは、結果ではないのだ。

そこに、その人と、自分のどんな思いがあったかということだけが、きっと真実なのだ。


人間のあらゆる行動の背後には、必ずその人間の意思がある。

背後にあるその深いところに、その人間のどんな意思が働いていたのかということこそが、その人間の本質なのだと、おれは思う。

だから、誰でも許すわけではない。
しかし、もしそこに善意があるのなら、少なくとも悪意がないのなら、それはなによりも尊重されるべきことなのだと、おれは思うだけだ。

そして、そこにあるものに気づいた時、人間はもともと許せる人を許すことができるのだと、おれは思う。

そのことに気づいた時、おれは何年も許せなかった父を、やっと許すことができた気がした。
そして、あの頃の自分もまた同時に、許すことができた、と思った。

おれは、憎しみと罪悪感のはざまで、何年も苦しみ続けてきた。
もがき続けてきた。

そして、こうして許すことができたのは、こういう捉え方ができるようになったのは、今の自分が、あの頃の自分よりも、多くの学びの中で、はるかに成長することができたおかげでもあると思っている。


今おれは、当時のあの状況を振り返って、自分自身よく許せたなあ、としみじみ思う。
本気で自分を褒めてあげたいと思っている。

もちろん人生において、許すということが唯一の答えとは、おれは思わない。
別に許さなくたっていい。

でも、おれはきっと、あの頃の父と、自分と、家族をずっとずっと許したかったのだ。
本当は、そういう自分が、実は自分の中にずっといたことに気づいただけだったのかもしれない。


あの時、父も、母も、兄も、おれも、おれたちは精一杯生きていた。
みんな家族が幸せであるために、一生懸命生きていたのだ。

ただそれがあの時は、あのような結果になったということだけだ。

だから今おれは、あの頃のすべてを許せる。
あの頃の家族を許せる。
あの頃の自分も許せる。

そう思った。


真実は、いつも深いところにある。

気がつくとおれは、あの頃の父と自分を許していた。 1

いつの間にかおれは、あの頃の父のことを許していた。
そして同時に、あの頃の自分のこともまた、許していることに気がついた。


それはおれにとって、あまりにも意外なことだった。
あの頃殺意すら抱くほど憎んでいた父のことを許すことなど、当時の自分には全く想像もできないことだった。

おれは、父が母を追い詰め、そのせいで母は死んだのだと、ずっと思い続けて生きてきた。

母が亡くなったのは、もとはといえば、あの日のおれと父との争いに、母を巻き込んだからだった。
だからおれもまた、自分自身こそが母を追い詰め、殺したのだと、今までずっと自分を責め続けていた。

母が亡くなったのは、おれがこの世に産まれた時の輸血が原因だった。
そしておれと父との長年の確執と、あの日の2人の争いが、最後に母を追い詰めたのかもしれなかった。

おれこそ自分の母を一度ならず、二度も死へと追い詰めた張本人なのかもしれなかった。
もしこの世に罪というものがあるならば、おれこそ決して許されない人間のはずだった。

おれはずっと、父のことを許せなかった。
そして自分のこともまた、決して許すことができなかった。


そのまま、長い年月が通り過ぎていった。


その間に、自分を取り巻く環境は著しいほどに変わっていった。
暮らす所も、つき合う人たちも残らず変わっていった。

しかし、それでもずっと変わらなかったものが、おれの中にはあった。
それが、自分自身が過去からずっと引きずってきた思いだった。

それでも、長い時間が経ったからだろうか。
おれはやっと今、当時を振り返ることができるようになった。


そうなって初めて気づくことがあった。

おれは故郷を出て、こちらに来てから、たくさんのことを学んだ。
そのほとんどは、人間の「心」というものだった。

おれはずっと昔から、人間の心というものを知りたかった。
おれは、自分と他人の心に、気の遠くなるほどの長い間、ただ翻弄されてきてしまった。
だからこそおれは、人間の心について知りたかった。

心はずっと、喜びも、悲しみも生み出してきた。
愛も、憎しみも生み出してきた。
そして、幸せも、不幸も生み出してきた。

この不可思議な人間の「心」というものこそが、ずっと昔から自分にとって、自分の人生にとって最大のテーマだったのだ。


そして多くのことを学ぶにつれて、おれは次第に人の心の奥深いところにあるものに、意識を向けるようになっていった。

昔のおれは、いつも人間の表面だけしか見ていなかった。

だからこそ、たとえば周りの人間の心の中にある狡さや、自分に向けられた悪意というものさえ見抜けずに、その人間の表面の奇麗事の言葉だけを信じてきてしまった。

また反対に、自分に対して善意を持っていてくれる大切な人たちの存在にすら、気づくこともできなかった。

さらにおれ自身もまた、自分をごまかしていた時には、決して自分自身を知ることはできなかった。

そんな経験からだろうか。
さらにセラピストという仕事を選んだからなおさらなのだろうか。

いつの間にかその人間の表面だけではなく、その心の奥を、心のずっと深いところのあるその人間の本質を、目に見えない真実の部分を絶えず見抜こうとしている自分がいた。


ある時、おれは、自分がそれまで培ってきたその同じ視線を、あの頃の父と自分に向けていた。

そしてあの時の父と自分の、心の奥にあったものに、おれは今になってやっと気づくことができた気がした。

母への手紙  〜運命の終わりに〜

親愛なるおふくろへ

あなたが突然亡くなってから、もう6年が経ちます。
あなたが亡くなってから、おれは長野を出ました。
今は東京で暮らしています。

おれはずっと過去から逃げてきました。
でも、最近やっと冷静に過去のことを振り返ることができるようになりました。

あなたはおれを産んでくれた時、その時の輸血がもとで癌になり、多くの痛みと苦しみを背負いました。
さらに長年に渡るおれと父との争いが、あなたの死期を早まらせてしまったのかもしれません。

おれと父が、やはりあなたを死へと追い詰めてしまったのでしょうか。
あるいは、やさしいあなたのことですから、自分の介護のことでこれ以上迷惑をかけたくないと思ったからでしょうか。
あるいは、おれたちの骨肉の争いに疲れてしまったのでしょうか。
それとも、これ以上つき合うのはかえって二人のためにならないと思ったからでしょうか。

そしてあなたは、やはり家族に迷惑がかかると、誰にも何も言わず死んでいきました。
文句一つ言わず家族のために尽くしたまま、亡くなっていきました。

おれはあなたにとって、あまりいい息子ではなかったかもしれません。
おれはずっと自分の心の中にあった葛藤のために、あなたを傷つけていたのかもしれません。
おれはあなたからもらった限りない愛のうち、どれくらいあなたに返してあげられたのでしょうか。

でもきっとあなたが今ここにいたら、どんなことを言うのか、おれにはわかります。
お前はいつも私にやさしかったと、あなたが心から言ってくれることを知っています。

結局、おれはあなたの命を救えませんでした。
そして、痛みと苦しみの中にいるあなたのことを、楽にしてあげることもできませんでした。

あなたが亡くなってから、おれはすべての希望を失ってしまいました。
自分が生きていく道を失ってしまいました。

でも、随分長い時間がかかりましたが、今やっとおれの中で過去が終わろうとしています。
過去がどんなに苦しくても、やりきれなくても、暗いトンネルから出る時が来たのだと思っています。

自分自身もう十分苦しんだと思っています。
だから、もうおれは自分を苦しめるのをやめようと思いました。
そうでなければ、あなたが亡くなっていった意味がなくなる気がするから。
これからは、もう精一杯自分のために生きていこうと思っています。

過去は終わりました。
あなたのあの時の痛みも、苦しみもすべて終わりました。
そしてあの時のあなたとおれとの悲しい運命も終わりました。

だから、おれは時々思い出すことがあっても、もうあの頃への執着を手放します。
そしておれは、今度は自分のために幸せな未来を描いていくつもりです。
きっとこうなることこそ、あなたのおれへの一番大切な願いだったような気がします。

いままでおれのことをずっとずっと愛してくれて、ありがとうございました。
おれのこと産んでくれて、ありがとうございました。
おれは、あなたのことをずっとずっと忘れません。

本当に、本当にありがとうございました。

最後に、

あなたは最高の母親でした。


あなたを愛する息子より

母の命日

今日は、母の命日だった。

母は故郷の病院のベッドの上で亡くなった。
あれから今日でちょうど6年が経つ。

時間というものは、とても不思議だ。
6年という歳月は今振り返ると、とても長かった気もするし、あっという間に過ぎていったようにも思える。

母の墓は、故郷の街を一望できる高台にある。
小高い山の中腹にある、広々とした墓地に母は眠っている。
そこは、街を端から端まで見渡すことのできるほどの眺めのいい、穏やかでとても気持ちのいい場所だ。

そこは、桜の名所になっていて、春になると満開の桜で辺りの風景は一面白一色となる。
夏には、きらめく陽の光の中、林に囲まれたそこには爽やかで涼しい風が吹き渡る。
秋には、山全体が真っ赤な紅葉に鮮やかに包まれる。
そして冬には、どこまでも真っ白な雪景色が広がった。

今頃は、その山も頂上から麓までが、すっかり白く美しい雪化粧に変わっていることだろう。

おれにとって自分の人生を語る上で、母の存在は欠かせない。
おれと母は、深い深い運命で結ばれていた。

ちゅうど6年前の夜、おれは亡くなったばかりの母の手を、両手でずっと握りしめていた。
その時の母の顔を、おれは決して忘れることはないだろう。
母の顔は、いつでもとても穏やかでやさしかった。

おれは母にずっと愛されてきたこと、そのあたたかな愛に包まれていた日々を思い出した。
母は、いつもおれを見ていてくれた。
ありのままのおれを愛してくれた。

母と一緒にいた時は、どんな時も心が安らいだ。
毎日が喜びに包まれていた。

そしてふと気づくと、おれは母と自分との悲しい運命を思い出していた。

去年、おれは母の墓参りのため故郷に帰った。
久し振りの母の墓の前で、涙が止まらなかった。

おれはきっとこれからもまた、母に会いに故郷に行くだろう。
その度に大きな自分になっていたい。
その度におれは、自分を産んで育ててくれた母に、成長した自分の姿を見せたい。
心からそう思った。

それこそが、自分なりの母への恩返しだと思っている。
母が望んでいることは、家族一人一人が救われることであり、幸せになることだ。
母を大切に思うということは、きっとそういう母の気持ちを大切にすることなのだろう。

信州は今頃、雪だろうか。
母の眠る小高い山にも、雪が降っているだろうか。

白い雪は舞い降り、果てもなく降り続き、しんしんと静かに一面に降り積もって、いつかこの運命を、その中にそっとうずめてくれるだろうか。

おれは今日一人、心の中で母に伝えた言葉があった。
それがどんな物語であったとしても、おれはあなたと出会えて心から幸せだった、と。

再び、東京へ

母が亡くなってから、いつの間にか6年近くになろうとしている。
故郷を出たあの夜からは4年経った。

こちらに来てから、いろいろなことがあった。
過去には考えられないほど多くの人間に出会った。

気づくと、自分の環境も、つき合う人達も著しく変わっていた。
おれはここには書ききれないくらい、気づきと学びの機会に恵まれた。

埼玉では2年半暮らした。
現在は東京に住んでいる。

20代の頃、故郷に帰る時、東京に戻ることになるとは考えもしなかった。
人生とは不思議なものだ。

再び東京で暮らし始めて、自分の中で20代の頃と、今とでは東京に対する捉え方が違うことに気づいた。

昔はついていけない所だったが、今は面白い所なのかもしれないと思っている。
ここは大変な数の人間が集まり、そして地方とは比べ物にならないくらいの速さで、日々変化している。

そんな東京で暮らしているうちに、おれは人生も面白いものかもしれないと思うようになった。
自分の人生はまだこれからだと思っている。

そう思えるようになったのも、故郷を出てから自分自身が変わってきたからだと思う。

20年以上の歳月を経ておれは今、20代の頃自分が暮らしていた東京に再びいる。

故郷を離れる日 2

故郷を去る日が来た。

家を明け渡す時間は決まっていた。
時間になる直前まで、おれは残りの荷物をまとめていた。

車に最後の荷物を載せ終わった時、この家の新しい家族が不動産屋と一緒にやってきた。
おれと父は、家のすべての鍵を渡した。

いよいよこの家とのお別れだった。
車に乗り込む前に、おれは家の前に立った。
長い間世話になったこの家に別れを告げるためだった。

この家は父と母が新しい土地を買い、2度目に建てた家だった。
以前住んでいた家は、別の土地にあった。
そこは大通りに面していたため交通量が多く、夜も騒がしかった。
ここに来たのは、もっと静かな所で暮らしたいという理由からだった。

川がすぐ隣にあって、せせらぎの音が聞こえてくる閑静なこの家を一番気に入っていたのは、母だった。
それから20年近く家族で暮らした。
家の中も、周りも語り尽くすこともできないくらいたくさんの思い出が染み付いていた。

見上げると、家はちょうど西に傾きかけた陽の光を一杯に浴びているところだった。

玄関のそばには、いつか母が最後に退院した時、満開の花を咲かせて迎えてくれた山茶花があった。
今は花もなく、ひっそりと無言でおれたちを見送ってくれていた。

1階の軒先に目をやった。
庭に面したそこには昔、竹で作られた細長い椅子が2つ並べて置いてあった。
そこは父と母がよく座って、二人で楽しそうにお茶を飲んでいた場所だった。
でも今は、その椅子もなかった。

庭にあるすべての植木や植物が、残らずおれと父に静かに別れを告げている気がした。

川の向こうにある畑には、きっとこれからも光が降り注ぎ、毎年たくさんの野菜が育つだろう。
でも、もうそれを見ることはない。

おれは車に乗り込んだ。
車の窓から最後に一度だけ振り返った。

2階の自分の部屋だった所の窓ガラスに、西日が当たっていた。
その向こうには、真っ青な空が見えた。
ガラスに反射した光がその一瞬、きらきらとまばゆいばかりに自分の目に飛び込んできた。

この家を見たのは、それが最後だった。

インターチェンジに向かう時、母がずっと好きだった、あの並木道を通った。
棺に入った母が、最後に通った道だ。
おれは母を乗せて何度もこの道を車で走ったことを思い出した。

きっと自分の残りの人生の中で、この道を通ることはもうないだろう。
おれは今目の前の景色を、この道で見えるすべてのものを目に焼き付けようとしていた。

車がインターチェンジに入った。
高速道路を走り出すと、今自分がいたばかりの街が、夕映えにまぶしく輝きながら真下に広がっているのが見えた。

おれたち家族がずっとずっと長い間、生まれ、育ち、暮らしてきた街だった。
そしてもう二度と暮らすことのない街だった。

おれはこの街で生まれ、この街で育った。
この街に帰ってきた時には、自分はきっと死ぬまでここで暮らすことになると思っていた。

おれがかつていた幼稚園も、小学校も、中学校も、高校もみんなこの街の中にあった。

おれはこの街で泣き、笑い、叫び、もがき続けた。
この街には愛も、ほほえみも、やさしさも、喜びもあった。
恨みも、憎しみも、怒りも、悲しみもあった。

この街にはおれのすべてがあった。
おれの限りない思い出が埋まっていた。

でも今、すべてを越えておれの街は、夕映えの中で美しく輝いていた。
そしてきっとこれからは、この街はおれの心の中でいつまでも生き続けていくことだろう。

トンネルに入ると、もう街は見えなくなった。

ハンドルを握りながら、今こうして故郷を離れようとしていることが、おれにはまだ信じられなかった。
東京から帰ってきた頃、まさか自分が再びこの街をあとにすることになるなんて誰が想像できただろう。

人生とは何だろう。
人間とは何だろう。

おれはどこへ行くのだろう。
どこに向かっているのだろう。

おれは何のために生まれ、死んでいくのだろう。

車が進んでいく度に、故郷がどんどん後ろへと遠ざかっていった。
思い出がどんどん後ろへと遠ざかっていった。
おれは自分の今までの人生であった、いろいろなことを思い出していた。

いくつかのトンネルを抜け、車が群馬県との境にある碓井峠を越える時には、辺りはもうすっかり夜の闇に包まれていた。

車を走らせながら、おれも、父も今、人生の中の真っ暗な道をただひたすら疾走している気がした。
どこかにある夜明けをめざして。

埼玉の兄のマンションに着いたのは、真夜中近くだった。
その日は、兄の所に泊まった。

その夜おれは、布団に入っても目が冴えてなかなか眠れなかった。
おれは明日から始まるここでの新しい生活をあれこれ考えていた。
でも、結局何もわからなかった。

おれはもう何も考えないことにした。
ただこの先自分の人生でどんなことが起こっても、きっとあまり驚かない気がした。
一度はもう人生を捨てたようなものだったからだ。

翌日のニュースで、おれと父が家を出た数時間後に、故郷にその冬初めて雪が降ったことを知った。
しかもそれは大雪で、随分積もったということだった。
夜大雪の降り続く道を車で走る苦労は、身にしみていた。
車のタイヤも冬用には換えていなかった。

そのニュースを知った時、おれは母がきっといつもどこかで、ずっとおれたち家族を守ってくれていたのだと思った。

おれにはいつかきっと、故郷を離れたこの夜のことを振り返る日が来るだろう。
その時おれは、もしかしたら生きること、そして輝くことの本当の意味を、答えを知るのかもしれない。

そう思った。

故郷を離れる日 1

おれは故郷を離れることになった。

長年父と母と一緒に暮らしてきた家は、人手に渡ることになった。
おれも、父もこの家を引き払う準備を始めた。

改めて気づいたのは、家中にある物だった。
家具、電化製品、寝具、服、日用品に至るまで、ありとあらゆる物があった。

庭には多くの植物や木が植えられていた。
鉢に入った花や植物も、いくつも整然と置かれていた。
家の中にもたくさんの観葉植物が並べられていた。

それは大変な量だった。

あとわずか1か月のうちに、家の中をすべて空っぽにしなければならなかった。
父とおれは、来る日も来る日も家中の物の整理と処分に追われた。

母にまつわる物も多かった。
母は昔から物を大切にしてきた人だった。

おれにとって母の物を一つ一つ取り出して処分していくことは、とても辛いことだった。
一つ一つの物に母の思い出が強くつながっていた。
手に取る度に母の顔とともに、その時の情景が鮮やかに蘇った。
まるで目の前に母の姿が見え、母の声が聞こえてくるようだった。

こらえきれず母の物を手にしたまま一人泣くこともよくあった。
気持ちが治まるまでは次の物に手がつかなかった。
その度に引っ越しの作業はなかなか進まなくなった。

自分と父の服にも、毛布や布団カバーなどの寝具にも、下着にさえ母が毎日夜遅くまでていねいに工夫して縫い物をしてくれていた跡が残っていた。
それらを目にすると、熱いものが込み上げてきて胸が一杯になった。

母が大切に仕舞っていた写真もたくさんあった。
さまざまな場所で仲のいい友人や、仲間や、家族と一緒に笑顔の母が写っていた。
どの写真の母もとても幸せそうに見えた。

それらを一枚一枚手に取りながら、おれは母の人生は辛いことや苦しいことだけではなく、きっと楽しかったことも、心の底から笑ったことも、穏やかで平和に満ちた瞬間も数限りなくあったのだと思った。

母が華道の先生になった時に玄関に掲げた看板も、たくさんの花器も、花鋏もあった。

母は結婚して子供が産まれてからも家庭と両立させながらできることを見つけた。
それが華道の先生だった。
家元の所へ通い続け、師範の資格を取った。
そして多くのお弟子さんに華道の素晴らしさを伝え続けた。
それは母のライフワークだった。
母が一生懸命稽古を続けて得たその看板は、今もおれのそばにある。

形見となってしまった母の洋服や、バッグや、アクセサリーは、叔母さんや、母の友人の方々に分けた。
それらは母にゆかりのある人たちに着てもらい、身につけてもらいたかった。
母もきっと喜んでいるはずだった。

「お前が結婚したら、お前の嫁さんに着物でも何でもみんなあげるんだ」
母は昔おれにそう言っていた。
でもそれは結局実現しないままになってしまった。
着物はすべて叔母さんに持っていてもらうことにした。

母が長い間丹精を込めて育てた大小さまざまな種類の植木や植物は、庭のほとんどを覆い尽くすほどあった。
何本もの植木や花は親戚にあげた。
何度も来てもらい、運んでもらった。
その度にみんなで庭の土をスコップやつるはしで掘り起こし、軽トラックの荷台一杯に積み込んだ。

母の愛した花や植物は、きっと母の想いとともにこれからはいろいろな庭でさらに大きく育ち、毎年のように美しい花を咲かせていくことだろう。

庭にある植木や植物は、それでもまだ3分の2以上が残っていた。
それはもうこの家に来る新しい家族に引き継いでもらうことになった。

川の向こうには、家族で借りていた畑があった。
母はそこで土を耕し、たくさんの野菜を作った。
畑仕事は元気な頃の母の生き甲斐でもあった。

手ぬぐいを頭にかぶり、畑の中で陽の光を一杯に浴びて楽しそうに笑っていた母の顔を、おれは今でもはっきりと覚えている。

その畑は近所の親しかった人があとを借りることになった。

家具も、電化製品も、インテリアもほとんどを人にあげたり、処分した。

最後まで譲る人が見つからなかった家具もあった。
それらは新しい住まいに持っていくには大きすぎたり、不用だったりした。
それらを処分するためにはばらばらにするしかなかった。

おれと父は、懐かしい思い出のたくさん詰まった家具を一つ一つ壊していった。
おれは壊す前にその一つ一つをていねいに写真に収めた。

処分する物は大量になった。

20代の頃、おれは東京から故郷に帰ってきた。
その時は自分が再びこの故郷を離れることになるとは、全く想像もしていなかった。
もう自分は死ぬまでこの土地を離れることはないと思っていた。
残りの人生は終わりが来るまでここで穏やかに過ぎていくものだと思っていた。
自分が死んだ時はこの故郷の土に還るのだとばかり思っていた。

ここを出て行くと決意した日から、まだ1か月も経っていなかった。
人生は本当に想像もつかないことが起こるものだった。
運命というものは計り知れなかった。
おれは人間の運命というものをその奥で動かしている不可思議な力の正体を、大いなる存在というものを、この時強く感じていた。

壊した物は廃棄したり、焼却場に持っていく物もあったが、大部分は畑で燃やした。
その中には、闘病していた頃の母のために用意しておいた大量の紙のおむつや下着もあった。
それらを燃やしながらおれは、今はすべての痛みや苦しみから解き放たれている母を想った。

一つ一つが数えきれない思い出とともに、白や灰色の煙となって空高く上り、やがて吸い込まれるように消えていった。
あとには灰だけが残った。

おれは消えていった煙の行方を、いつまでもずっと追いかけていた。

いままでの人生を変えるために 2

長年住み慣れた故郷を捨てて、新しい地で人生をやり直そうと思ったあの日のことを、おれはずっと忘れないだろう。
きっとおれの人生は、あの日から変わり始めたのだ。

おれがそのための新しい土地として思い浮かんだのは、兄が住んでいる埼玉だった。
おれは自分が考えたことを正直に父に話した。
ずっと憎んでいた父だったが、最後の最後には置いていけない気がしたからだった。

でももし父がずっとここで暮らしていくつもりだったら、父を置いて一人でも行くつもりだった。
おれはその時それだけの決心をしていた。
しかし意外なことに父は、自分も一緒にこの地を離れて兄の近くに移り住むと言った。

おれはもちろん、新しい土地で同じように一つ屋根の下で父と一緒に暮らすつもりはなかった。
新しい土地で、お互い近い所に住めればいいと思っていた。
近所だけれど、それぞれがそれぞれの所で暮らすのだ。

そして母と長年ずっと一緒に暮らしてきたこの家を売りに出すことにした。
そう決めて不動産屋に依頼して広告を出したのが、9月のことだった。
すぐに2組が家を見に来て、10月にはこの家の次の住人が決まった。
おれは父と急いで埼玉まで出向いていった。
そこで父の入居する老人ホームと、おれの住むアパートを契約して帰ってきた。

不思議なことに、決意してからわずか1か月足らずのうちにすべてが決まった。
人生が音を立てて変わり始めた気がした。

東京に住んでいた頃から20年もたっていたので、おれには新しい土地には兄の他には誰も知り合いがいなかった。
それでも、この頃のおれにはたった一つだけ望みがあった。

おれはたまたまインターネットで、ある心理療法家の先生のホームページに辿り着いた。
その先生が開いている、セラピストの養成講座を受けようと思っていたのだ。
その講座は東京で開催されていて、埼玉からなら毎回通うことができるはずだった。

ホームページの中には、ある日その先生がストレスからうつ状態になり、交差点で衝動的に飛び込み自殺をしてしまいそうになったことが書かれてあった。
そのたった一つの文章が、それからの自分の人生を変えることになった。
おれは、このひとならきっと自分のことをわかってくれるのではないかと思った。

心理療法がどういうものなのか、その頃のおれはほとんど何も知らなかった。
それでもその講座こそが、何もかもがんじがらめになっていた自分の人生を変えるための、たった一つの道であるような気がした。
そしてそこは、新しい地へ行こうと決めたその頃のおれの唯一の心の支えだった。

長野の家を引き払うのは、11月最後の日に決まった。

いままでの人生を変えるために 1

それからおれは再び一人きりになった。

もう夜出掛けることも、人とのつき合いも一切やめてしまった。
仕事が終わると、毎日また自分の部屋にこもりきりになった。

すべてが振り出しに戻った気がした。
母が亡くなってから自分は一体何をしてきたのだろう。
得たものなど何もなかった。

相変わらず母が亡くなったことに対する罪悪感で自分を激しく責め、父を執拗に憎み続けていた。
そんな中、他人に対する決して報われることのない努力にエネルギーを使い果たしてしまった。
挙げ句の果てに見下され、つけ込まれ、もうおれは生きることすべてに消耗してしまった。

自分にとってもはや生きることは徒労にすぎなかった。
あらゆる面でおれはすっかり行き詰まってしまっていた。
まさかこんなかたちで自分の人生が行き詰まるとは、昔は思いもしなかった。

幼い頃おれは、人間は誰もがずっと幸せな人生を歩んでいくのだと信じていた。
自分の人生はずっと順調に進んでいくのだとばかり思っていた。
父も、母も、兄も家族はいつまでも仲良く幸せに暮らし、みんながずっと健康で長生きしていくのだと思っていた。
友達や周りの人たちに恵まれ、自分もいつかは新しいあたたかい家庭を作るのだと思っていた。
自分もやりたいことを存分にして生きていくのだと思っていた。

でも、そうではなかった。
いつしか運命の歯車が狂い出した。
あんなに明るく、愛情に満ちて健康だった母が亡くなり、気がつくと、残ったおれも、父も、兄も家族みんなそれぞれがばらばらで一人一人になっていた。
自分が友達だと思っていた人間たちにはつけ込まれ、利用された。

おれにはもう自分の人生のことなど何も考えられなくなっていた。
生きる意味もへったくれもなかった。
人間なんて。
自分なんて。

おれは人生に絶望していた。
人間に、自分自身に絶望していた。
その頃おれは、運命というものを何度呪ったことだろう。

もうおれはその頃のすべてから抜け出したかった。
すべてが嫌になってしまった。
うちでの異常な生活も。
自分の周りのくだらない人間関係も。
自分の心の中で起こっていたことも。
何もかも。

このままでは何も変わらなかった。
でももう変わらなければ、とても前を見て自分の人生を生きていくことは不可能だった。
ただおれには決して死ねない理由だけがあった。
だとしたら、おれはもう自分の人生を変えるしかなかった。
人生を変えることにしか、自分のこれから生きていく道は残されていなかった。
でもその頃のおれには一体どうしたらいいのかわからなかった。
そしてまた時間だけが空しく過ぎていった。

そんな時のことだった。
母が亡くなってから1年半がたっていた。
ある日突然、その考えが浮かんだ。
それは今までの自分にとって想像もしなかった答えだった。
それはすべてにおいて行き詰まり、もう死ぬことも、生きることもできなくなっていた自分がやっとつかんだ、たった一つの出口だった。

その答えに辿り着いた瞬間、自分の中で何かが震える気がした。
そして自分の中でその時何かが動き出すのを、おれははっきりと感じていた。

20代の頃東京にいたこともある自分も、振り返ると故郷に帰ってきてから20年近くになろうしていた。
父も若い頃一度故郷を離れたことがあっただけで、あとはここで50年以上暮らしていた。
しかしもうここまで行き詰まってしまったら、この故郷を離れて、新しい土地でお互いに新しく人生をやり直すしかないのではないかと、その日おれは思ったのだ。

もう故郷を捨てて、それまでのすべてを捨てて、新しい土地で自分の人生を白紙からやるしかないと、おれは思った。
それはそれまでの住む所も、会社も、仕事も、地元の人間関係もすべて捨てることを意味していた。
それしかもう状況を突破できないと、あの日おれは強く思った。

それはいきなり閃きとしてやってきた。
それは今までのおれが一度も思ったこともない考えだった。

今振り返ると、それは何かの導きだったような気がする。

もう一つの問題 5

うちでは同じ家にいながら父と顔を合わせない孤独な生活を過ごし、外では友人と思い込んでいた人間たちに見下され、つけ込まれてきた。

もしその頃、ありのままのおれを受け入れてくれる人間や、対等でお互いを認め合える人達にもっと多く出会っていたら、きっとおれはずっと早く立ち直っていたかもしれない。
きっとその頃も自分の周りをよく見渡してみると、そういうまともな人達もたくさんいたはずだった。

しかしなぜかその頃のおれはいつも、自分を見下しつけ込んでくるような人間ばかりを引きつけてしまっていた。
またそういう人間は向こうからも寄ってきた。

利己的でずるくてたくましい人間と弱くて迎合的な人間は、例えてみるとまさに鍵と鍵穴だった。
それはいつでもどこでもぴたりと合ってしまう関係だった。
片方は他人に優越しようとし、片方は他人に卑屈に迎合していく。
それによってずるい人間が得るものは他人を踏み台にした自分の利益であり、弱い人間が得るものは保護されることによる安心だった。

おれはその頃立て続けにそういう目に遭うまで、この世の中に他人の弱さや寂しさにつけ込んでくる人間がいるのだということを、本当にはわかっていなかった気がする。
昔からずっとそういう目に遭っていながら、他人が見えていなかった。
それは自分という人間が、自分自身には全く見えていなかったからでもあった。
人間は自分を知ることで、初めて他人を知ることができるからだ。

その頃までのおれは、そういう利己的でずるい人間とばかり関わりを持ってしまっていた。
その結果、友人だと思い込んでいた人間たちにことごとく裏切られることになった。
そういう人間は、もともとそういう人間だったのだ。

おれはあまりにも弱かった。
おれは他人に言いたいことも満足に言えなかった。
余程のことでないと抗議一つできない人間だった。
いつも他人にいい顔ばかりしていた。
嫌な顔一つできなかった。
いつも自分を殺し、他人に合わせてばかりいた。
おれはなぜいつもそういう人間たちにつけ込まれ、利用されるだけの寂しくて弱い存在になり下がってしまったのだろうか。

おれの心の奥にはずっと恐怖というものがあった。
自分という存在は結局は世の中に見捨てられるのではないか、という恐怖がいつも付きまとっていた。
そのためなのではないだろうか。

おれの中には、ずっと昔から人間に対する恐怖というものが染み付いていた。
おれは人間がこわかった。
対人関係というものが全くわからなかった。
まだひきこもりという言葉もないような時代に、何年もひきこもりをした。

おれは心の底で深く傷ついていた。
初めから傷ついたままだった。
心の底に恐怖がまるで埋め込まれていたかのように、ずっと存在していた。

そんな深く傷ついていた自分が選び続けてきた他人との関わり方が、迎合することだった。
そして世の中にはそういう、弱く傷ついている人間につけ込む人間もまた同時に存在していた。

それまでのおれの人生の多くは屈辱にまみれていた。
おれは昔から思っていた。
せっかくこの世に生まれてきたのになぜおれはこんなに惨めな思いをしてきたのだろうか、と。

おれはいままで他人に嫌われないように頑張ってきた。
その時その時の感情を抑え、他人に迎合することで相手の好意を得ようとしてきた。
その結果他人に振り回され、つけ込まれ、利用されてきてしまった。

その度におれは自分を責め続けた。
おれは自分の実際の感情を表に出すことができなかった。
他人に真っ正面から自分の意見を主張することもできなかった。

おれには、自分というものがなかった。
他人の好意という幻想にしがみついていただけだった。
そしてその幻想がくずれる度に、今度は自分の中に恨みと憎しみを長い間持ち続けることになった。

自分への誇りを忘れて惨めに生きてしまうと、どこまでいってもきりがなかった。
そしてずっとそういう惨めな人生にしてきたのはあの頃の、他ならぬ自分自身だったのだ。
屈辱を味わう度に、自分を情けなく惨めに感じる度に、おれはよく思ったものだ。
おれは神様の最大の失敗作なのではないだろうか、と。

おれの中に絶えず自分をそうなるように仕向けてきた、もう一つの心の闇があった。
しかしその頃のおれはまだ、自分の中のそれとまともに向き合うことができなかった。

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