自分自身になるために、生まれてきた。

きっと自分は、自分自身になるために、この世に生まれてきた。 生きるとは、自分にとって、自分が自分自身であるということなのだから。 世界でたった一人の、かけがえのない、ありのままの自分であるために。

もう一つの問題 4

その頃のおれには、そういう出来事が他にもいろいろ起きていた。

しかしそれはまだ自分にとっては、遥か昔から繰り返し起きていた多くの似たような出来事の一部にしか過ぎなかった。
枚挙にいとまがないほどだ。

おれを見下し、蔑む人間は、昔からいつでもどこにでも存在していた。
おれはつけ込まれ、軽く扱われ、利用された。
酷いところでいえば、いじめを受けたり、警察に相談するような詐欺の被害にさえ遭ってきた。

その度におれは傷ついてきた。
というより、おれ自身が初めから深く傷ついていたのだ。
だからこそ、そういう人間たちが自分の周りには特別に集まりやすかったのだと、今では思っている。

それはおれ自身が変わらなかったためにずっと解決しないできた、長年の問題だった。
そしてまたそういう出来事が、その頃一気におれの身に起きていたのだった。

その頃のおれは寂しさのかたまりだった。
そして心の中にあったその深い寂しさのために、誰にでもすがりつこうとしていた。
おれは寂しさの正体だった、自分の心の中にあった愛情に対する根強い飢餓感を、誰でもいいから埋めてもらいたかったのだ。
だからその頃友人と思い込んでいた人間たちは、不幸なことに実は大抵がそれにつけ込んでくる利己的でずるくたくましい人間たちばかりだったということにさえ、おれは気づくことができなかった。

またずるい人間は、弱い人間を嗅ぎ分けるのが巧みだった。
彼らに共通していたのは、おれのように他人に嫌われないように自分を犠牲にして相手に迎合していくような人間につけ込み、自分の利益のために都合のいいようにそれを利用するところだった。

あるいは心の中で見下したり、軽く扱うこと自体が彼らの目的であったりもした。
そうすることで、彼らは少しでも人より自分が優位にいる気分を味わえるからだった。
心の中に隠している底知れぬ劣等感を、そうすることで果たしていた。

彼らは一人でいる時には、自分自身の中に力を感じることができない。
絶えず人間関係の中で自分が人より優位であると感じる時にしか、自分の価値を確認することができない人間たちだった。
弱い人間を見下し、弱さにつけ込み、自分に都合よく利用することでしかそれを感じることができなかった。

彼らには、自分のことを抑圧し相手の要求に逆らえないような、弱い人間が必要だった。
要するに彼らも弱い人間と同じように深く傷ついていて、癒されていない人間なのだ。

ただずるい人間が弱い人間と決定的に違うのは、その傷を癒そうとする方法だった。
彼らはNOと言えない、自己主張できないような弱い人間につけ込み、それを徹底的に利用してきた。

誇り高い人間だったら、そんなことするものか。

もう一つの問題 3

またこんなこともあった。
その女性は大手の保険会社に勤めていた。
彼女とは昔からの知り合いで、友人として集まりがある時にはお互いに顔を合わせる間柄でもあった。

ある日彼女から電話がかかってきた。
自分の仕事のノルマを達成したいから何か一つ保険に入ってくれと言う。
会って話を聞くと、3か月でいいから何かの保険に入ってくれないかと頼み込まれた。

彼女は母の葬儀に来てくれた人だった。
だから余計に断りにくかった。
それにその頃のおれは人から頼まれるとなかなか断れない人間だった。
なぜかはまだおれにはわからなかった。

その頃のおれの中には決まって、自分の気持ちよりも相手の要求を無意識に優先させてしまう何かがあった。
相手の要求を受け入れることが相手を失望させないことだと思い込んでいた。
自分を犠牲にしてでも。

おれは相手の失望した声を聞きたくなかった。
相手の失望した顔を見たくなかった。
相手を失望させることは罪なことだとさえ感じていた。

またそうしてしまえばその相手との関係は終わってしまう。
とにかくどんな希薄な友情だろうと,孤独な自分にはそれが切れることが耐えられなかった。

今なら思う。
そんなことで終わる関係なら、できるだけ早いうちに終わらせてしまった方がいいと。
でも当時の自分は全く気がついていなかった。

とにかくたったそれだけのことで、自分には全く必要のない保険の契約をしてしまった。

3か月が過ぎた頃、おれは解約したいと電話で彼女に伝えた。
しかしその時彼女は言った。
「今解約されたら私の利益がまだ出ないので、もう少し続けてみて」

それは最初の約束と違うおかしな話だった。
そこには彼女の都合だけしかなかった。
こっちが抗議したっておかしくない状況だ。
それなのにその時の自分は、彼女の説得に難なく屈して抗議することもなく、そのまま保険を続けることになった。
おれは自分に必要もない保険料を、さらに払い続けることになった。

その保険の契約もとうとう10か月になろうとしていたある日、今度こそはっきりと解約しようとおれは決心した。
親切心で払い続けるには、さすがのおれにも限界だった。
しかしお人好しだったおれは、今の保険を解約する代わりに自動車の強制保険だけでも、今までの他の保険屋から彼女に代えてあげようとさえ考えていた。

はっきりと解約したい、と電話をかけた時の彼女の言葉も忘れられない。
「契約して13か月たたないうちに解約されたら、私ペナルティーを会社に払わなければならなくなるじゃないの!」
「それにそんな自動車保険に入ってくれたってまだペナルティーの方が多いんだから!」
そう罵って電話を切ったのだ。

話が違うじゃないか、と思った。
3か月で解約してもいいと言ったじゃないか。
おれはただ友人として助けてやろうと思っただけだ。
困って頼み込んできたから、かわいそうに思って協力してあげた。
むしろ感謝されるべきだろう。
それなのになぜここまで言われなければならないのかと思った。

結局こっちが友人と思っていても、彼女はただ自分が会社から被るペナルティーのことしか頭になかった。
なぜおれがおれの保険を解約する自由さえ彼女は認めないのだろう。
お金を払い続けているのはこっちなのに。

それでもおれが実際に解約したのは、その保険に入って13か月が過ぎるのを待ってあげてからだった。
13か月がやっと過ぎて、直接保険会社に契約書を持って解約に行った時に、受付で言われた。
「あ、その担当の人は去年の12月で会社をやめましたよ」

その12月というのは、おれが解約したい旨の電話を彼女に2度目にした月だった。
その女性は契約しているおれに連絡もしないで、とっくにその会社をやめていたのだ。
おれはそれも知らずにそれから4か月もその保険の支払いを無駄に続けていたということになる。

結局その人間に振り回され、13か月も無駄に払い続けた保険料の総額は10万円以上になった。

もう一つの問題 2

またその当時つき合っていた別の人間が、おれの車を運転したことがあった。
彼は誤って車をバックさせた。
駐車場の壁に激突した車の後部は大破した。
それなのに壊れた車を板金屋に持っていったのはおれだった。

車が修理し終えるのに一か月くらいかかった。
それまで彼からは謝罪はおろか連絡が来たことは一度もなかった。

おれが修理代を請求する電話をかけた時の彼の言葉は忘れられない。
「何でおれが払わなきゃいけないんだ!」
開口一番そう言ったのだ。
そして開き直ってあれこれを言ってきた。
「今おれには金がない」
「おまえも助手席に乗っていただろう」
「おまえもそんなにお金はかからないように見えると言ってたじゃないか」

修理に出すと、バンパーをそっくり取り替えなければならなかった。
昼間明るい所で見ると、いろいろな所がへこんでいた。
塗装代もかかった。
想像以上の代金になったと、おれは彼に言った。
結局おれは彼と修理代を半分ずつ払うことになった。

おれは思った。
おれがもし彼の立場だったらどうだろうかと。
友人の車を運転していてぶつけたとしたら修理に出している間、何の連絡もしないだろうか。
開き直って「何でおれが払わなければならないんだ!」などと言うだろうか。
ましていろいろな理由を付けて払わないで済まそうなどと考えるだろうか。

服を売りつけてきた人間についてもそうだ。
おれが同じ立場だったら、友人に服を高く売りつけておいてさらに吹っ掛けるような真似をするはずもなかった。

要するに彼らはおれのことを決して友人だなどとは思っていなかったのだろう。
そればかりかその頃のおれは、周りにとって都合のいい人間としてしか見られていなかった。
弱く寂しかったその頃のおれは軽く扱われていた。
周りの人間からいつも低く見られていた。
対等と言えるつき合いはまるでなかった。
おれは舐められていたのだ。

おれはそういう人間たちを、なぜ本当の友人だなどと本気で信じてしまっていたのだろうか。

もう一つの問題 1

おれは相変わらず父と同じ一つの家の中で一切顔を合わせない、別々の生活を続けていた。
その頃家の外でもう一つの問題があった。

母が亡くなったその年も秋に差し掛かる頃だった。
いままでは単なる知り合いに過ぎなかった人間とのつき合いが多くなった。
夜になる度におれは頻繁に出掛けるようになっていった。

いつも夜の街でおもしろおかしく過ごようになった。
おれはこれからの自分の人生についてまともに考えることもしなかった。
自分に向き合うこともせず、現実から目をそらし続けた。

飲んで騒いでいる間は辛い過去も、孤独な生活もすべて忘れられる気がした。
もう辛いことはすべて終わり、人生は楽しいものだとおれは懸命に思い込もうとしていた。
でも本当は寂しかっただけだった。
束の間のどんちゃん騒ぎで気を紛らわせていただけだったのだ。

本当は寂しくて寂しくていられなかった。
おもしろおかしい場所にずっといたかった。
誰かに必死ですがりつきたくて仕方がなかっただけだった。

母ももう家にはいなかった。
憎むべき父が一緒にいると思うだけで気が滅入る家にはいたくもなかった。
自分の部屋には帰りたくなかった。
一人きりになると決まって死にたくなるからだった。

おれはその頃、自分一人では心の中にぽっかりとできた孤独の深い穴を埋めることができなかった。
しかし今振り返ると不幸なことにその頃のおれの周りには、ありのままのおれを受け入れてくれる人間がいなかった。
利害もなしに相談に乗ってくれる人間も、対等でお互いを認め合えるような人間も誰一人いなかった。
上辺だけのつき合いの人間しかいなかった。
それなのにおれはそんな人間たちを唯一おれを理解してくれている本当の友人だと思い込んでいた。

その一人からある夜遅く電話がかかってきたことがあった。
今自分の友達と一緒だけど、これから飲みに出てこないかと言ってきた。
かなり遅い時間だったが、おれは即座に行くと答えた。
そして急いでよそゆきの服に着替えるため電話を切ろうとした。
その瞬間、彼が他の人間たちに話している声が聞こえた。
「こいつは誘うとすぐ来る。数合わせにちょうどいい」

おれはそういう人間でも本当の友人だと思い込んでいた。
そして今では全く信じられないことだが、すぐにそんなはずはない、彼はおれが孤独でいるのをわざわざ誘ってくれたのだと、自分で自分を納得させていた。

繁華街に着くと、彼のこれから入ろうとしている店に連れていかれた。
ちょうどおれが一人入ったことで人数が揃い料金が安くなった。
その事実にもおれは目をそむけたままだった。

彼はアパレル業界の、服を卸す会社で働いていた。
ある時彼がジャケットを買わないかと言ってきた。
値段はいくらなのか聞いた。
本当はジャケットはすでに何着も持っていて買わなくてよかった。
しかしその時おれは断れなかった。
嫌われるのがこわかったからだ。

展示会に行くとたくさんのジャケットが並んで吊るしてあった。
それにも関わらず彼はおれのためにと一着のジャケットを出してきた。
値段を聞いた。
最初彼が持ちかけてきた値段は3万円くらいだったが、その倍になっていた。

頭の中では話が違うと思った。
抗議したいと思った。
しかしおれは彼に大袈裟に感謝していた。
気がつくとにこにこしてお金を払っていた。
すると彼はさらにもっと値段の高いスーツの上下まで売りつけようとしてきた。
さすがにそれは断った。

その頃おれが友人と信じて疑わなかった人間というのは、こういう人間たちだったのだ。

心の闇

おれが産まれたために母は死んだ。
おれと父は長年に渡りずっといがみ合い、争い続けた。
そしてそのせいでおれと父が愛する母を死に追いやってしまったとしたら、こんな人生に一体何の意味があるのだろう。

何もない。
苦しみしかなかった。
罪しかなかった。
そして他者への憎しみしかなかった。

その時おれはもうこんな人生はこりごりだと思った。
人間なんてもうこりごりだと思った。
死にたかった。
でも死ねなかった。
ここでおれが死ねば、母がおれを何十年も必死で育ててくれたことも、生きていくことをおれに託して亡くなっていった意味も、母自身が生きてきた意味もすべてなくなってしまう。
それだけはできなかった。
だから死ねなかった。

おれは死にたくても死ねない。
だからもう音もなく消えたかった。
跡形もなく消え去りたかった。

自分なんてぶっ壊れろと思った。
自分の人生なんてぶっ壊れてしまえと思った。
そして、そのまま自分のすべてがこの世から、この宇宙から一片も残さずに消え去ることしかもう望みはなかった。
その時のおれは、もしそれで自分がこの世から跡形もなく消えても本望だっただろう。
その時おれは、おれ自身を闇の中へと追い詰めていた。

その頃のおれの記憶には、ただ自分の部屋の白い壁の、その白さだけが強くある。
毎日毎晩ただ白い壁を見ていた。
見ているうちにその真っ白い色の中にただ自分が吸い込まれていく気がした。

わからなかった。
おれがこの世に本当に生きていていいのか。
どうすればいいのか。

すべてのものに何の意味もなかった。
自分にさえも。

自分はきっとその時、虚無というものの真っただ中にいたのだ。

異常な生活

おれは自分もそうだが、父こそが母を追い詰め、殺した張本人だと思っていた。
だからその頃のおれは、憎むべき父と顔を合わせるのが苦痛でたまらなかった。

同じ家の中で父は1階で生活していて、おれの部屋は2階にあった。
居間も、台所も、トイレも、母の仏壇のある部屋も1階だった。

その頃おれは2階の部屋に炊飯器、冷蔵庫、トースター、お湯を沸かすための電動ポットといったものや、包丁、まな板といった調理器具や、食器を揃えた。
そして米や乾物、缶詰などの食料品を用意して、2階の部屋で食事を作り始めた。
父と一切顔を合わせないために食事も生活も別々にした。

物音もなく父がいる気配のない時にトイレに行った。
父が寝た後に風呂に入った。
母の冥福を祈り、お経を唱える時も2階の自分の部屋で唱えることにした。
そんなふうにしておれは父と顔を合わせることを徹底的に避けるようになった。

同じ家に暮らす家族でありながら、1階と2階で全く別々でほとんど顔を合わせることのない生活は、それから2年近くも続いた。

今振り返ると、親子として同じ一つの家にいながら、それはそれぞれが一人きりのとても寂しく悲しい生活だった。
そしてそれはどこまでも孤独で異常な生活だったと思う。

しかしその頃のおれは、父への憎しみと自分への罪悪感の間で引き裂かれそうになっていたのだった。
それは感情に支配されてしまった人間のなれの果ての姿だった。

その頃の自分はきっと壊れていたのだ。

憎しみと罪悪感のはざまで

朝、仕事に出掛ける。
夜家に帰るとすぐに母がいた部屋に直行する。
襖を閉め切って母の仏壇の前に座る。
お経を唱え続ける。

部屋の三方にある襖と障子と真っ白い壁がおれを取り囲んでいる。
自分のお経を唱える声と隣の部屋で時折父が見ているテレビの音が聞こえるだけだった。
たまに父と顔を合わせてももう何の会話もない。
そんな毎日が過ぎていくうちに父と顔を合わせることを次第に避けるようになっていった。

この頃のおれにとって母を亡くした喪失感には凄まじいものがあった。
母は家族のために言葉に尽くせない苦労をしてきた。
手術をしてからのその痛みや辛さは計り知れなかった。
最期には壮絶な苦しみを経て亡くなっていった。
母はおれを産んだ時C型肝炎に感染した。
そして最後にはおれと父が母を追い詰め、死へと追い込んでしまったのかもしれない。
そのすべてのことがその頃のおれに重く重くのしかかっていた。
そしておれは二重、三重に自分自身を苦しめていった。

どこにも救いがなかった。
自分自身がこの先生きていく意味など何も感じられなかった。
その頃のおれは自分が母を死に追いやってしまったのだという罪悪感と、自分と同じように母と家族を長年苦労させ、追い詰めていったと思い込んでいた父に対する憎しみしかなかった。

その頃の自分の心の中では四六時中声が聞こえていた。
おまえがおふくろを追い詰めたんだ。
おまえが産まれてきたからおふくろは死んだ。
おまえさえ産まれてこなければ……。
おまえはおふくろを殺した、殺した、殺した……と。

そして、もう一つの声がした。
おまえの親父がおれたちを追い詰めてきたんだ。
おふくろが亡くなる前におれとのことでおふくろにしつこく絡み続けたあいつがおふくろを追い詰めたんだ。
おまえのおふくろを殺したのはあいつだ、あいつだ、あいつだ……と。

その時のおれにはこの先もう自分が死ぬか、父を殺すしか考えられなくなっていた。
でも自分が死ぬことはどうしてもできなかった。
自ら死を選ぶことはできなかった。
ここでおれが死ねば母が命がけでおれを産んでくれたことも、あらゆる苦労をして一生懸命おれを育ててくれたことも、母のすべてもそれこそ否定することになるからだった。
母のやってきたことのすべてを、そして母の人生そのものを全く意味のないものにしてしまうからだった。
そして母は絶対にそんなことは望んでいるはずもなかった。

父を殺したいと思うこともしょっちゅうあった。
でもそれも決して母が望まないことだった。

おれはますます自分自身に追い詰められていった。

母が亡くなった理由

大きな手術を乗り越え、長い闘病と度重なる入退院を繰り返してきた母は、最後に退院してから10日後に亡くなった。

医者からもうこれで大丈夫ですと太鼓判まで押されていたのにもかかわらず母が突然亡くなっていった過去を、おれはそれから何年もずっと引きずって生きてきた。
それは母を死まで追い詰めてしまったのは実は自分と父なのではないかという罪悪感が、日夜心の中でおれを責め続けていたからだった。

母がうちに帰ってきてから間もなくのことだった。
大晦日に退院した母はまだ寝たきりの体で、手助けしてあげないとほとんど起き上がることができないでいた。

新しい年が明けてまだ数日しかたっていなかった。
世間は正月だった。
その頃母はもちろん、おれも父もその介護のためにかなりの肉体的・精神的疲労がたまっていた。
おれたち家族は一人一人みんな心底疲れきっていた。

そしてあの日、疲れは人間を壊していくということをおれは知ることになった。
すべてはおれの一言から始まったのだ。

その時おれはベッドで寝たままの母に食事を食べさせてあげたり、水を飲ませてあげていた。
それから母の体を拭いて着替えを手伝った。

父は居間で兄と酒を飲んでいた。
それを見たおれはその時、そのことがどうしても許せない気持ちになった。
母の体の向きを変える時におれは手伝ってくれるよう二人を呼んだ。

父が来た。
おれが母の上半身を抱きかかえ、父が母の足を持った。
その時おれは父にあれこれと指示した。
確かこれ以上ないくらいきつい命令口調だったと思う。

少し酔っぱらっていた父は、お前の言い方は何だとかあれこれ言い出した。
そしておれと父は母の前でつまらない言い争いを始めた。

激昂した父はいきなり台所へ飛んでいき、包丁を取り出そうとした。
お前を殺してやると、叫びながら。
おれはそれを止めようとして父と揉み合いになった。
おれは母のいる隣の部屋で父の上に馬乗りになった。
父の体を両腕で力一杯押さえつけた。

父は動けない体勢でもまだおれを罵っていた。
それでもおれはありったけの力で押さえつけていた両腕をずっと緩めなかった。
その時おれと父とのその争いを隣の部屋で母が聞いていた。

おれがやっと父を解放すると、父はどこかへふらりと出て行った。
そして何時間か後に帰ってくると、父はこう言い出した。
今おれは不動産屋に行ってきたから、このうちを売ってこれからは母と二人だけで施設に住むと。

その頃の母は決して施設には入りたくはなかったのだと、おれは思っている。
母はずっと自分の気に入っているこのうちで暮らしたかったのだ。
しかし当時の父のしつこく相手に絡み付く性格からすると、もしかしたらそれからおれがいない時には毎日のようにあいつはどうでもいいからこのうちを売って二人だけで施設に移ろうと、母に絡んでいた気がする。

その争いから2、3日経った頃、母が体のあちこちに痛みを訴えだした。
そして数日後に母は苦しんで亡くなっていった。
母が急に体の痛みを訴えだしてその何日か後に亡くなった理由として考えられることは、この時の争いのせいとしかおれには思えなかった。

その時のおれと父との争いが母を追い詰めてしまったのかもしれなかった。
おれの父への一言から始まった二人の争いこそが、結果的に母を殺してしまったのかもしれなかった。
もしかしたらおれがその引き金を引いて、父が希望を打ち砕いてしまったのかもしれないと思った。

母はおれと父との長年の確執をずっと心配していた。
しかしこの時母はもうおれと父とのことをすっかり諦めてしまったのかもしれない。
いつまでも和解できない、変わっていかない二人のせいで生きる希望をなくしてしまったのかもしれない。
もしそうなら、おれと父こそ母の殺人者だった。

家の中がおれと父の二人だけになると、おれの父への新たな憎しみと母が亡くなったことに対する罪悪感に心が次第に苛まれていった。

介護の日々 3  〜母からの最後の贈り物〜

あの頃辛い手術を終えた母は、熱を出したり、足やお腹や全身に水が溜まったりしてとても動けるような体ではなかった。

だから水を飲ませたり、食べさせたり、着替えさせたり、体を拭いたり、おむつを替えたり、痛いところを擦ったり、痒いところを掻いてあげたり、手や足を揉んだり、そして入浴させたり、母の服や下着を洗濯したりした。
そして話を聞いてあげたり、冗談や楽しい話を一生懸命したりもした。

最近気づいたことがある。
それはじつはそのまま自分が産まれた時から子供時代母にずっとしてもらっていたことだったのだと。

誰かを愛するとはまさしく行動することであり、実践することだったのだ。
母はずっとおれや兄が子供の頃から嫌な顔一つせずに身の回りの世話をしてくれていた。
母はまさしくずっと長い間、おれや兄や父を、家族を愛してくれていたのだ。

おれはずっと自分の過去を振り返ってきた。
そして母が自分にどれだけのことをしてきてくれたのかを少しずつ思い出すことができた。
すると自分がずっと忘れていた、母に自分がいかに無条件に愛されてきたのかということにようやく気がつくことができるようになった。
そしてその揺るぎのない事実は、きっとこれからのおれの生きていく強い力になっていくのだろう。

そして今、おれはおれ自身も過去にたった10か月という母に比べたらあまりにも短い期間だったかもしれないけれど、母に精一杯尽くしてきた事実を思い出した。

それはもしかしたら母の愛情に比べたら、完璧とは言えない、あまりにもお粗末で、雑な行動だったかもしれない。
もう少しやってあげられることもたくさんあったかもしれないし、疲れて内心嫌になったことも正直あった。

でもそんな後悔することも、反省することも、もっとやれることがあったかもしれないと思うことも、疲れていてももっと心を込めてしてあげたほうが良かったと思うこともすべて含めてその頃のおれは精一杯生きていたと思う。

母のことを一途に思い、母を楽にしてあげたいという一心で母の介護を続けた。
それこそ母に与えてもらった、人を愛するというとても貴重な経験だったのかもしれないと今になって思う。

ありのままの自分として母から愛されたという経験はおれにとって生きる上でとてつもなく大きな力を与えてくれることであるとともに、それがどんなかたちであれ人を愛したという経験もおれが生きていく上でまた強い力と自信を与えてくれるのではないだろうか。
そして母はその人生の最後に自分を通しておれに人を愛するというかけがえのない大切な大切な経験をさせてくれたのではないだろうか。

おれは今まで母に何もしてあげられなかったと思っていた。
でも、おれもその時じつは精一杯いろいろなことを母にさせていただいていたことに気づいた。
それは「してあげた」のではなく、まさに「させていただいた」という言葉のほうがぴったりする。

そう、おれはあの時母を精一杯愛したのだ。
おれも過去に人を精一杯、一生懸命愛してきたのだ。

おれは母が生きている間数え切れない愛情という贈り物をずっともらってきた。
そして母からの最後の贈り物は、まさしく人を愛するという経験と、自分も人を愛せるのだという自信そのものだった。

そのことに気づいた時、おれは母からの命をかけた、この上なくあたたかい心のこもった最後の贈り物を自分がずっと受け取っていたことにやっと気づいた。

おふくろ、ありがとう。
あなたはおれにとって本当に最高の母親でした。
あなたが自分の体と命と引き換えにしておれに贈ってくれた最後の贈り物、今しっかりと受け取ったよ。
おふくろ、本当にありがとな。

介護の日々 2

ニュースでしばしば長年の介護の疲れから起きた心中や殺人といった事件が報道される。

それはとても残念なことだけれど、おれ自身経験が全くないというより10か月介護を続けてきた者として、そういう人たちの蓄積していく疲れというものが少しはわかる気がする。

介護をしている時は、自分の時間などほとんどないと言っていい。
その頃の父とおれの体には、正直言って何か月もの介護による疲れがたまっていた。

それでも自分の母だった。
おれを命がけで産んでくれ、限りない愛情でおれと兄を育ててくれて、家族のために一生懸命尽くしてきてくれた母だった。
それにもとはといえば、おれを産んだ時の輸血がもとで母はここまで苦しんできたのだ。

だから自分のためではなく母のために生きようと、あるいは母の身の回りをすることこそ自分のためなのだとおれはそう自分に言い聞かせながら、疲れた自分の体に鞭打ちながら母のために介護を続けた。

介護はおれにとって自分との戦いだった。
たまっていく体の疲れと、睡眠不足との。

あの頃のおれと父の体は正直言ってへとへとだったと思う。
辛いことも、せつないこともあの頃は何度も経験した。

今思うと、何かに試されていた気がする。
そしてその頃のおれはその見えざる何かと必死で戦っていた気がする。

そしてその時の母もまた、おれたち以上に必死で戦っていたのだ。

母が亡くなって2年近くたって長野のうちを父と後にする時まで、母のために用意した大量の新しい紙おむつをずっと捨てられずにいた。
母の服も、下着も、ところどころに固く茶色に変色した血がこびり付いていた毛布もずっと捨てられなかった。

それは、おれにとってあの頃の母がただひたすら生きるために戦ってきたかけがえのない証しだったからだ。

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