自分自身になるために、生まれてきた。

きっと自分は、自分自身になるために、この世に生まれてきた。 生きるとは、自分にとって、自分が自分自身であるということなのだから。 世界でたった一人の、かけがえのない、ありのままの自分であるために。

2010年01月

過去のすべては、今この瞬間の自分を輝かせるためにある。

今思うと、おれは、最愛の母が亡くなった喪失感をずっと、父を憎み、自分を責めることで埋めようとしてきた。


実は、罪悪感こそが、どんなに大切なものを自分は失ってきたのか、ということをおれに教えてくれた。

そして、憎しみこそが、おれに愛を気づかせ、あれからの自分を支え、この世に生かしてきてくれたのだ。

ということは、憎しみも、罪悪感も、今までの自分にとっては、なくてはならない必要なものだったということになる。

過去の一切は、今この瞬間の自分を輝かすためのものだったのだ。


今のおれは、自分にとって大切なものが何かわかるようになった。

そして、おれは、今この瞬間、自分がここに生きているというだけで、何物にも代えがたい無上の価値を感じるようになった。

それはすべて自分が悩み、苦しんできた過去のおかげだ。

すべては、今の自分にとって、必要な経験だったのだ。


あの頃から抜け出した今だからこそ、初めて言えることがある。

自分はずっとずっと苦しんできてよかった、と。
悩んできてよかった、と。

他人を殺したくなるほど憎んだことも、
自分を死にたくなるくらい責め続けたことも、
今のおれには、すべていい経験だった、と。

すべては、今この瞬間のためにあったのだから。

今のおれは、素直にそう感じている。


人生に無駄なことはない、と言う言葉に、おれはよく出合った。

そういうことを言う人にも出会ったし、いろいろな本にも載っている。

しかし、おれが今やっとそう思えるようになったのは、おれが自分の人生の中で高すぎる代償を払ったからだった。

この人生には、代償を払ってやっとわかることがある。

そのことを本当に感じるために、おれには多くの経験をする必要があったのだ。
それがたとえどんな辛い経験であったとしても。


そして、そこから抜け出した時、きっと人は、初めて過去の一つ一つが、実は今の自分を輝かすための、かけがえのないものだったことに気づくのだ。

気がつくとおれは、あの頃の父と自分を許していた。 2

おれは思った。
あの時、果たして父とおれは、母に対してどんな思いを持っていたのだろうか、と。

おれたちは、母に対して、不幸になってほしいと思っていただろうか。
苦しんでくれ、と思っていただろうか。
死んでくれ、と思っていただろうか。

そんなはずはなかった。
そんなことを思うはずもなかった。
二人とも、そんな意思は決してなかったのだ。

おれたちは二人とも、母には一刻も早く健康になってほしかっただけだった。
母に早く元気になってほしかった。
いつまでもずっと笑顔のままで、ずっと長生きしてほしかった。
幸せな人生をずっと歩いてほしかった。

それだけだったはずだ。

そして、父とおれだけでなく、母も、兄も、みんな心の底で家族が幸せであることをいつも望んでいた。
お互いが、家族一人一人の幸せを心から望んでいた。
そのことに、おれはやっと気づいた気がした。

心の奥にあったそれこそが、唯一の真実だったのだ。
そして、きっとそれが、すべてだった。


ただ、あの頃の父も、おれも疲れていた。
疲れきっていた。
そして、あの頃のおれたちには、自分と相手の心の奥底を推し量る余裕すらなかった。

でも、そんな中でも、おれも、父も精一杯だったことだけは確かだった。
あの状況の中で、二人とも母に対して、家族に対して精一杯のことをしていたのだと、今おれは思う。

だから、母が亡くなったことは不可抗力とは言わないけれど、その時のことは仕方がなかったのだと、今のおれは正直に思えるようになった。

あの時は、父も、母も、おれも、みんなぎりぎりだった。
そして、それがどんなかたちであれ、みんな一生懸命生きていたのだ。

だから、おれはもう、あの時の父を許せると思った。
そして、あの時の自分のことも許せると思った。


あの頃、みんな心のずっとずっと奥で、お互いの幸せを願っていた。

どうすれば家族が幸せになるのか、それぞれ一人一人が一生懸命考えていた。
母も、父も、おれも、兄もあの時精一杯のことをやっていたのだ。
一生懸命生きていたのだ。
ぎりぎりまで。

ただあの時は、それが思うようにならなかっただけだ。
あの時、たまたまうまくいかなかっただけなのだ。

結果が、すべてではない。
きっと大切なことは、結果ではないのだ。

そこに、その人と、自分のどんな思いがあったかということだけが、きっと真実なのだ。


人間のあらゆる行動の背後には、必ずその人間の意思がある。

背後にあるその深いところに、その人間のどんな意思が働いていたのかということこそが、その人間の本質なのだと、おれは思う。

だから、誰でも許すわけではない。
しかし、もしそこに善意があるのなら、少なくとも悪意がないのなら、それはなによりも尊重されるべきことなのだと、おれは思うだけだ。

そして、そこにあるものに気づいた時、人間はもともと許せる人を許すことができるのだと、おれは思う。

そのことに気づいた時、おれは何年も許せなかった父を、やっと許すことができた気がした。
そして、あの頃の自分もまた同時に、許すことができた、と思った。

おれは、憎しみと罪悪感のはざまで、何年も苦しみ続けてきた。
もがき続けてきた。

そして、こうして許すことができたのは、こういう捉え方ができるようになったのは、今の自分が、あの頃の自分よりも、多くの学びの中で、はるかに成長することができたおかげでもあると思っている。


今おれは、当時のあの状況を振り返って、自分自身よく許せたなあ、としみじみ思う。
本気で自分を褒めてあげたいと思っている。

もちろん人生において、許すということが唯一の答えとは、おれは思わない。
別に許さなくたっていい。

でも、おれはきっと、あの頃の父と、自分と、家族をずっとずっと許したかったのだ。
本当は、そういう自分が、実は自分の中にずっといたことに気づいただけだったのかもしれない。


あの時、父も、母も、兄も、おれも、おれたちは精一杯生きていた。
みんな家族が幸せであるために、一生懸命生きていたのだ。

ただそれがあの時は、あのような結果になったということだけだ。

だから今おれは、あの頃のすべてを許せる。
あの頃の家族を許せる。
あの頃の自分も許せる。

そう思った。


真実は、いつも深いところにある。

気がつくとおれは、あの頃の父と自分を許していた。 1

いつの間にかおれは、あの頃の父のことを許していた。
そして同時に、あの頃の自分のこともまた、許していることに気がついた。


それはおれにとって、あまりにも意外なことだった。
あの頃殺意すら抱くほど憎んでいた父のことを許すことなど、当時の自分には全く想像もできないことだった。

おれは、父が母を追い詰め、そのせいで母は死んだのだと、ずっと思い続けて生きてきた。

母が亡くなったのは、もとはといえば、あの日のおれと父との争いに、母を巻き込んだからだった。
だからおれもまた、自分自身こそが母を追い詰め、殺したのだと、今までずっと自分を責め続けていた。

母が亡くなったのは、おれがこの世に産まれた時の輸血が原因だった。
そしておれと父との長年の確執と、あの日の2人の争いが、最後に母を追い詰めたのかもしれなかった。

おれこそ自分の母を一度ならず、二度も死へと追い詰めた張本人なのかもしれなかった。
もしこの世に罪というものがあるならば、おれこそ決して許されない人間のはずだった。

おれはずっと、父のことを許せなかった。
そして自分のこともまた、決して許すことができなかった。


そのまま、長い年月が通り過ぎていった。


その間に、自分を取り巻く環境は著しいほどに変わっていった。
暮らす所も、つき合う人たちも残らず変わっていった。

しかし、それでもずっと変わらなかったものが、おれの中にはあった。
それが、自分自身が過去からずっと引きずってきた思いだった。

それでも、長い時間が経ったからだろうか。
おれはやっと今、当時を振り返ることができるようになった。


そうなって初めて気づくことがあった。

おれは故郷を出て、こちらに来てから、たくさんのことを学んだ。
そのほとんどは、人間の「心」というものだった。

おれはずっと昔から、人間の心というものを知りたかった。
おれは、自分と他人の心に、気の遠くなるほどの長い間、ただ翻弄されてきてしまった。
だからこそおれは、人間の心について知りたかった。

心はずっと、喜びも、悲しみも生み出してきた。
愛も、憎しみも生み出してきた。
そして、幸せも、不幸も生み出してきた。

この不可思議な人間の「心」というものこそが、ずっと昔から自分にとって、自分の人生にとって最大のテーマだったのだ。


そして多くのことを学ぶにつれて、おれは次第に人の心の奥深いところにあるものに、意識を向けるようになっていった。

昔のおれは、いつも人間の表面だけしか見ていなかった。

だからこそ、たとえば周りの人間の心の中にある狡さや、自分に向けられた悪意というものさえ見抜けずに、その人間の表面の奇麗事の言葉だけを信じてきてしまった。

また反対に、自分に対して善意を持っていてくれる大切な人たちの存在にすら、気づくこともできなかった。

さらにおれ自身もまた、自分をごまかしていた時には、決して自分自身を知ることはできなかった。

そんな経験からだろうか。
さらにセラピストという仕事を選んだからなおさらなのだろうか。

いつの間にかその人間の表面だけではなく、その心の奥を、心のずっと深いところのあるその人間の本質を、目に見えない真実の部分を絶えず見抜こうとしている自分がいた。


ある時、おれは、自分がそれまで培ってきたその同じ視線を、あの頃の父と自分に向けていた。

そしてあの時の父と自分の、心の奥にあったものに、おれは今になってやっと気づくことができた気がした。

母への手紙  〜運命の終わりに〜

親愛なるおふくろへ

あなたが突然亡くなってから、もう6年が経ちます。
あなたが亡くなってから、おれは長野を出ました。
今は東京で暮らしています。

おれはずっと過去から逃げてきました。
でも、最近やっと冷静に過去のことを振り返ることができるようになりました。

あなたはおれを産んでくれた時、その時の輸血がもとで癌になり、多くの痛みと苦しみを背負いました。
さらに長年に渡るおれと父との争いが、あなたの死期を早まらせてしまったのかもしれません。

おれと父が、やはりあなたを死へと追い詰めてしまったのでしょうか。
あるいは、やさしいあなたのことですから、自分の介護のことでこれ以上迷惑をかけたくないと思ったからでしょうか。
あるいは、おれたちの骨肉の争いに疲れてしまったのでしょうか。
それとも、これ以上つき合うのはかえって二人のためにならないと思ったからでしょうか。

そしてあなたは、やはり家族に迷惑がかかると、誰にも何も言わず死んでいきました。
文句一つ言わず家族のために尽くしたまま、亡くなっていきました。

おれはあなたにとって、あまりいい息子ではなかったかもしれません。
おれはずっと自分の心の中にあった葛藤のために、あなたを傷つけていたのかもしれません。
おれはあなたからもらった限りない愛のうち、どれくらいあなたに返してあげられたのでしょうか。

でもきっとあなたが今ここにいたら、どんなことを言うのか、おれにはわかります。
お前はいつも私にやさしかったと、あなたが心から言ってくれることを知っています。

結局、おれはあなたの命を救えませんでした。
そして、痛みと苦しみの中にいるあなたのことを、楽にしてあげることもできませんでした。

あなたが亡くなってから、おれはすべての希望を失ってしまいました。
自分が生きていく道を失ってしまいました。

でも、随分長い時間がかかりましたが、今やっとおれの中で過去が終わろうとしています。
過去がどんなに苦しくても、やりきれなくても、暗いトンネルから出る時が来たのだと思っています。

自分自身もう十分苦しんだと思っています。
だから、もうおれは自分を苦しめるのをやめようと思いました。
そうでなければ、あなたが亡くなっていった意味がなくなる気がするから。
これからは、もう精一杯自分のために生きていこうと思っています。

過去は終わりました。
あなたのあの時の痛みも、苦しみもすべて終わりました。
そしてあの時のあなたとおれとの悲しい運命も終わりました。

だから、おれは時々思い出すことがあっても、もうあの頃への執着を手放します。
そしておれは、今度は自分のために幸せな未来を描いていくつもりです。
きっとこうなることこそ、あなたのおれへの一番大切な願いだったような気がします。

いままでおれのことをずっとずっと愛してくれて、ありがとうございました。
おれのこと産んでくれて、ありがとうございました。
おれは、あなたのことをずっとずっと忘れません。

本当に、本当にありがとうございました。

最後に、

あなたは最高の母親でした。


あなたを愛する息子より

母の命日

今日は、母の命日だった。

母は故郷の病院のベッドの上で亡くなった。
あれから今日でちょうど6年が経つ。

時間というものは、とても不思議だ。
6年という歳月は今振り返ると、とても長かった気もするし、あっという間に過ぎていったようにも思える。

母の墓は、故郷の街を一望できる高台にある。
小高い山の中腹にある、広々とした墓地に母は眠っている。
そこは、街を端から端まで見渡すことのできるほどの眺めのいい、穏やかでとても気持ちのいい場所だ。

そこは、桜の名所になっていて、春になると満開の桜で辺りの風景は一面白一色となる。
夏には、きらめく陽の光の中、林に囲まれたそこには爽やかで涼しい風が吹き渡る。
秋には、山全体が真っ赤な紅葉に鮮やかに包まれる。
そして冬には、どこまでも真っ白な雪景色が広がった。

今頃は、その山も頂上から麓までが、すっかり白く美しい雪化粧に変わっていることだろう。

おれにとって自分の人生を語る上で、母の存在は欠かせない。
おれと母は、深い深い運命で結ばれていた。

ちゅうど6年前の夜、おれは亡くなったばかりの母の手を、両手でずっと握りしめていた。
その時の母の顔を、おれは決して忘れることはないだろう。
母の顔は、いつでもとても穏やかでやさしかった。

おれは母にずっと愛されてきたこと、そのあたたかな愛に包まれていた日々を思い出した。
母は、いつもおれを見ていてくれた。
ありのままのおれを愛してくれた。

母と一緒にいた時は、どんな時も心が安らいだ。
毎日が喜びに包まれていた。

そしてふと気づくと、おれは母と自分との悲しい運命を思い出していた。

去年、おれは母の墓参りのため故郷に帰った。
久し振りの母の墓の前で、涙が止まらなかった。

おれはきっとこれからもまた、母に会いに故郷に行くだろう。
その度に大きな自分になっていたい。
その度におれは、自分を産んで育ててくれた母に、成長した自分の姿を見せたい。
心からそう思った。

それこそが、自分なりの母への恩返しだと思っている。
母が望んでいることは、家族一人一人が救われることであり、幸せになることだ。
母を大切に思うということは、きっとそういう母の気持ちを大切にすることなのだろう。

信州は今頃、雪だろうか。
母の眠る小高い山にも、雪が降っているだろうか。

白い雪は舞い降り、果てもなく降り続き、しんしんと静かに一面に降り積もって、いつかこの運命を、その中にそっとうずめてくれるだろうか。

おれは今日一人、心の中で母に伝えた言葉があった。
それがどんな物語であったとしても、おれはあなたと出会えて心から幸せだった、と。

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