自分自身になるために、生まれてきた。

きっと自分は、自分自身になるために、この世に生まれてきた。 生きるとは、自分にとって、自分が自分自身であるということなのだから。 世界でたった一人の、かけがえのない、ありのままの自分であるために。

2014年04月

アダルトチルドレン 7

実は、父も、その子供時代同じような家庭環境で育っていたアダルトチルドレンだった。

父にも、おそらく自尊心、自己愛に欠けていたところがあったのだと思う。
自分の劣等感をアルコールで埋めようとし、さらに、家族に自分の鬱憤をぶつけることで、それを晴らそうとしていた。

つまり、父はその幼児期に一番欲しかったはずの両親からの愛情を受けられなかったために、子供時代やはり安心して子供らしく振る舞うことができなかったのだ。

それを大人になってから、子供のように感情の赴くまま身勝手に振る舞い、それを家族は受け入れていたのだ。

父の子供時代も、その父親が、毎日のように酒を飲んで荒れては、家中のものを外に放り投げては破壊していたという。
子供時代の父も、子供らしくはいられない、絶えず脅かされるような環境の中で育ったのだ。

父の深いところにあった劣等感は、自分自身に対する低い自己評価、すなわちネガティブなセルフイメージによるものだった。

ネガティブなセルフイメージというものも、やはり間違った思い込み、認知の歪みだ。

そして、父とおれのように、さらにこういう間違った思い込みによる悲劇が、世代間で受け継がれていくように見える。
これが世代間連鎖というものだ。

この社会では何と多いことだろう。

アダルトチルドレン 6

幼い頃、絶えず脅かされる環境の中で、おれは我慢することを覚え、自分を殺すことを選んだ。

もし仮に、その時自分が父に反抗していたなら、ますますその時の父を助長させてしまっただろう。
だから、それだけは、絶対に避けなければならなかった。

その頃の自分にとって、すべてにおいて我慢すること、自分を殺すことは、それ以上状況を悪化させないことであり、反対に、父に反抗することは、状況をますます悪化させることだった。
つまり、我慢すること、自分を殺すことが良いことであり、正しいことだったのだ。

それは、その頃の自分にとって確かにプラスだったのかもしれない。
当時の自分は、そうすることでしか自分を守ることができなかったのだから。

しかし、それは同時に、それ以後の人生の自分にとっては、反対に、自分自身にマイナスを招き続けてしまう間違った思い込みだったのだ。

そういう間違った思い込みのまま、大人になっただけのおれは、家庭以外の他人に対しても、我慢すること、自分を殺すことを自分自身に強要し続けた。

他の人ならば、大人になったら、普通に自分を主張し、他人に適切に対応できるだろう。

しかし、おれの場合は、この間違った認識が、自分の心の深いところで見えないブレーキとなっていて、他の人のようにはできなかった。
自分の中の常識は、他の人とは昔から違っていたのだ。

そういった、自分の中で常識になっていたもの、間違った思い込み、心理学の言葉でいえば認知の歪みというものを、それ以後の自分は、一度リセットする必要があった。

カウンセリング、セラピーは、このような、その人自身の持つ間違った思い込み、認知の歪みを修正する方法なのだ。

アダルトチルドレン 5

おれのような機能不全の家庭に育ち、自分より他人の顔色を伺うことでしか生きてこれなかった人間にとって、最も欠けているものが、自己愛であり、自尊心だった。

自分の感情も、言いたいことも抑え込み、すべてにおいて我慢し、他人を優先し自分を殺してきたということは、自ら自分自身を愛することを放棄して生きてきたということだった。

アダルトチルドレンのおれは、何よりも自分を愛することができなかった。
自分で自分を軽く扱い、惨めにしてきた。

そして、そういう弱い人間に、どんな人間が寄ってくるかというと、いつの時も他人を利用する狡い人間だった。

自分を主張することができず、他人の要求に嫌と言えない人間は、彼らにとっては絶好のカモだったのだ。

おれは昔からそういう人間たちによく利用されたし、よく騙された。
一つ一つの経験を書くと、きりがない。

おれは、自分は、一体何のために生まれてきたのかわからなかった。

でも、今のおれには、はっきりとわかる。
おれは、そんな自分から自分自身を取り戻すためだけに、今まで生きてきた。

そして、そのために、おれは生まれてきたのだ。

アダルトチルドレン 4

大人になっても、おれは自分を殺し、他人に迎合し続けた。

26歳になっていた時、おれは、ある会社にいた。
そこで新人の歓迎会があった。
その時、おれも、他の部署からその部署に変わって、少し経った頃だった。

2時会の時、おれは、その部署におれより早くいる、ある一人の年下の相手から屈辱を受けた。

新人もいる大勢の前で、テーブルにあったポテトサラダを、いきなり相手の手で思い切り口いっぱいに押し込まれた。

咄嗟のことで、何も対応することができなかった。
相手が右手いっぱいに皿から掴んで、そのまま口に思い切りねじ込んでくるままだった。

その場にいた何人もの人間が、おれを見て笑っていた。
おれにポテトサラダをねじ込んでいる相手も、あざけるように笑っていた。

そして、今でも信じられないことだが、その時おれも、そうされながら笑っていたのだ。

おれの頭は、その時きっと思考が停止していた。
いきなり相手にされた屈辱的なことに、どういう反応をしたら良いかが全くわからなかった。

だから、きっと、ずっと昔から他人に対して最も無意識に続けてきた反応をしてしまったのだろう。

そして、驚くべきことに、相手にそうされた悔しさや怒りを、その場ではほとんど感じることはなかった。
無意識に自分で自分に感じなくさせていたのだ。
もうそれは、その頃になると、自動化されるほどになっていた。

だから、自分自身を取り戻し、その時のことを思い出して、怒りと悔しさが自分の中から本当に湧いてきた時には、もう何年も経っていた。

他人は、とっくにそんなことなど忘れている頃だった。

すべては、自分で自分の本当の感情を抑え、感じなくし、自分の言いたいことも、やりたいことも、全部自分で葬ってきたためだった。

おれは、ずっと自分で自分を殺し続けた。
その結果、受け取ったものは、他人に軽く見られ、見下され、あざ笑われることだった。

そして、これは、自分がアダルトチルドレンとして生きてきた中の一つの出来事でしかない。

アダルトチルドレン 3

こういう家庭の中で、いつも父の気分に合わせなければならず、自分をなくし続けたおれは、大きくなってもそうだった。

家庭の外でも、いつも他人の顔色ばかり伺い、他人に迎合し、他人に嫌われないように振る舞うことしかできなかった。

おれには、自分自身がなかった。

自分の感情も、言いたいことも、ずっと抑えこみ、他人に譲ること、他人を優先することばかりを、無意識に繰り返すだけだった。

そればかりか、おれは、道化役まで演じた。

自分が他人に見下される惨めな役を演じることで、他人の気分を損ねないと考えていたからだった。

自分にとって、この世界は恐怖に満ちたものだった。

自分の心の根底には、いつも他人に見捨てられることに対する恐怖があった。
そして、他人に見捨てられたなら、自分はもう生きていけないという間違った思い込みもあった。

すべては、幼い頃育つ中で、自分に強く刷り込まれたものだった。

おれの生きるすべては、他人に嫌われないためにあった。
だから、おれは、長い間ずっと自分を殺し、道化役を演じ続けた。

高校時代暇さえあれば、おれは、何人かのクラスメートからよく両足を持たれ、3階の窓から釣るされた。

その時も、決して嫌とは言わなかった。
むしろ自分から進んでそうされていたのだ。

他人は、おれを面白がった。
おれを見下し、あざ笑った。

でも、実は、おれ自身でさえ、進んで自分のことを馬鹿にし、他人と一緒になって自分のことをあざ笑っていたのだ。

いつの間にかおれは、高校時代、そのまま、「ピエロ」というあだ名で呼ばれていた。

しかし、それは、自分にとって本当は心の底から嫌で、屈辱的なあだ名だった。

おれは、自分が嫌なことをされても、他人に嫌と言えなかった。
他人の機嫌を損ねないように生きてきた。

そればかりか、他人に自分を軽く扱われ、笑われるように振る舞ってきた。

生き続けていく方法として、その時は、それしか自分には選べなかった。
そこからどうしても外れることができなかった。

どうあがいても、それは条件反射が、心の奥に染み込んだように強力に作用していて、変えることができなかった。

苦しかった。
悔しかった。
でも、その時の自分を変えることは、とてつもなく怖かった。

だから、違う生き方に憧れていても、その時の自分には、決して選べなかった。

その度に、おれは、顔で笑っていても、心の中ではずっと泣いていた。

そして、その素顔もまた、決して他人に見せることはなかった。

まさしくピエロそのものだ。

アダルトチルドレン 2

幼い頃、父が仕事から帰ってきた時、おれがやることは、いつも父の顔色を伺うことだった。

父の気分が悪い時、うちは地獄だった。

父は毎日酒を飲み、その日嫌なことがあった時には、決まって母に絡んだ。

そして、母の一生懸命に作った夕食の盛った皿を一つ一つ手に掴んでは、台所の流しへと力任せに投げて、割り続けた。
衝撃で皿は粉々になり、料理はあたり一面飛び散った。

父は怒鳴り続け、母は泣いていた。

まだ子供だったおれも、何もできなかった。
ただ泣くしかなかった。

その後、おれは父によって台所の床下によく長い間、閉じ込められた。
父が疲れて眠り、母が密封したままの床板を外して助けにくるまでおれは真っ暗な中、泣き続けた。

アダルトチルドレンの概念でいえば、
まさしくうちは、機能不全家族だった。

父が子供で、それ以外の家族が親の役割をしなければならなかった。
子供のおれが、子供らしさを安心して出せるわけがなかった。

子供のおれが、逆にその時の父のように振る舞うことは決して許されなかった。
その頃子供だった自分が、子供のようにその時の自分の感情を、いつでも自由に出すことはあり得なかった。

子供の頃のおれは、自分の感情を抑えて生きることが最優先だった。
その時は、それが自分にとって最も安全だったからだ。

だから、おれは、自分の本当の感情を感じなくした。
自分の言いたいことを言えなくした。
本当の自分を殺し続けた。

そして、おれは結局、自分自身をなくしてしまった。

アダルトチルドレン 1

アダルトチルドレンという言葉を知った時、まさしくそれは、自分のことだと思った。

アダルトチルドレンとは、もともとはアメリカでアルコール依存症の親を持つ子供たち(ACOA)が大人になった時の生きづらさを表す言葉だった。

しかし、現在では、特に日本では、もっと広い意味で、子供が幼い頃安心して子供らしさを出せない家庭(機能不全の家庭)に育った子供たちのことを指している。

子供が子供らしさを安心して出せない家庭としては、親がアルコール依存症の場合だけではなく、親から肉体的あるいは心理的な虐待を受けたり、見捨てられたり、両親の中が悪かったり、家庭内に不和があったりなど、いろいろなものがある。

いずれにしても、子供が安心して子供らしさを出せないのは同じだ。

そして、自分の育った家庭もまた、そういう家庭だった。

本当のことを言うと、おれはずっと自分が嫌いだった。 2

自分の弱さを受け入れるのではなくて、自分の弱さを嫌っている自分を受け入れることができた時に、おれは楽になることができた。

その時、最も大切なことは、自分の心の中のものに正直に向き合い、そのすべてをありのままに受け入れるということだと知った。
そして、それは、自分を受け入れたくない自分というものさえ、そっくりそのまま受け入れる、ということなのだと。

自分を嫌いな自分がいてもいい。
自分を無理に好きになる必要もない。
自分の心の中にあるものを、ただ正直に認めるだけだ。

自分自身を愛するとは、自分を無理に好きになろうとすることではなく、自分の中にあるいろいろな感情を、そのまま受け入れてあげることなのだ。
大切なことは、自分の心の中を誤魔化さないということだ。

それができた時、自分が大きく変わった気がした。
なぜなら、それができる自分とは、今までよりももっと視点の高い所から、いろいろな自分を俯瞰できる自分なのだから。

そういう自分にとっては、自分の弱さも、強さも、ただありのままにあるものに過ぎない。
そして、そういう自分だからこそ、自分をありのままに受け入れることができるのだ。

また、不思議なことに、今までの自分に対する印象も変わった。
嫌いだった自分の中の弱い自分でさえ、好きになれなくてもそれがあったから、本当の自分自身の強さが持てるのだということにも気づいた。

俯瞰できる自分になることが、変わるということの本質なのだ。
結局、変わるとは、今までの自分から、より高い視点を持った自分自身へと抜けることなのだ。

そして、そういったすべてが、自分が、自分自身へと近づいていく過程なのだ。

本当のことを言うと、おれはずっと自分が嫌いだった。 1

おれには過去にずっと誤魔化していたことがあった。

それは、自分が、心のどこかでずっと自分の弱さを認めていたことだった。
自分が、実は、心の奥ではいつまでたっても自分は弱くていいのだと思い続けていたことだった。

自分の悩みと苦しみは、自分の中の弱さが引き起こしていた。
それなのに、自分は弱くても仕方ないと、どこかでずっと思い込んでいた。
仕方ないとは、あきらめたということだった。
あきらめたら、自分の弱さを容認しているということと同じだ。

おれの場合は、きっぱりと弱い自分を否定しなければならなかった。
弱い自分ときっぱりと決別しなければいけなかった。
それができなかったから、自分はずっと変わらなかったのだ。

そう気づいた時に、やっと出てきた感情があった。
自分は、こんな弱い自分のことが本当は嫌いだったということ。

おれは、弱さに固執するがために、自分を他人につけ込ませ、自分を他人に軽く扱わせてきた自分のことが大嫌いだったのだ。

弱い自分こそ、他人に自分の魂を売った張本人だったのだ。
弱さというものにいつまでも執着し、それをやり続け、自分自身に莫大な損害を与えてきたこの弱い自分を、おれは実はずっと憎み続けていたのだ。

もうすぐにでもそういう自分を殺したいほどだった。
驚くべきことに、それがその時のうそ偽ざる自分自身の本当の気持ちだった。
自分自身の本当の気持ちに、その時おれはやっと触れることができた。

セラピーや自己啓発などでは、よく自分を好きになれとか、自分を愛せとか言うけれど、当時のおれのように弱い自分に辟易してる人にとっては、正直そんなことできるわけがないじゃないか。
悩みや苦しみを絶えず自分自身にもたらしていたのは、いつだってそういう弱い自分だったのだから。

そして、自分に対するそういう感情がある以上、どんな感情であっても決して誤魔化さず自分でそれを正直に受け入れることしかない。
自分の中にあることをありのままに認めることからでしか、きっと救われない。

それができなければ、本当の意味で、自分が自分自身ではない気がする。

誕生日

先日は、自分の誕生日だった。

自分の誕生日だからといって、正直あまり感慨がない。
心に深く感じたり、しみじみとした思いがある人は、そう思えるような人生を歩んできた人だろう。

例えば、何かを達成してきたとか、あるいは、波瀾万丈な末、幸せになったとか、ある程度満足したところのあった人達だろう。

ところが、過去の人生を振り返ると、おれには満足できることなんてほとんどなかった。
やりたいことはことごとくやれず、言いたいことは言えず、何も動けず、人間が苦手で、社会が怖くて、他人の顔色を窺ってばかりの虚しい人生だったと思う。

誇るべきものなんて思い出すこともできない。
達成したことなんて何もない。
惨めな人生だった。

でも、こういう人生を送ったものでなければ、絶対にわからないものがある。
生きているだけで価値がある、なんて言うのは、それ以上に人生にプラスがある人間だけだ。

人生のほとんどをマイナスの経験をした人にしかわからないものがある。
それだけは、今の自分にはわかる。
そして、おれにあるには、それだけなのだ。

だから、おれはそこからやっていくしかない。

そんなガラクタのような経験と、そこから自分がどう変わり、そして、これからどう変わっていくのか、それだけが自分の持っているものなのだ。

そして、それを発信していくことが、以前の自分と同じような人生を送っている方たちのためにどこかでなっているのなら、おれはこれを発信し続けようと思う。
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