おれは長い間ずっと父親のことを憎んできた。恨んできた。

まだ子供の頃おれは夕方になるとよく母のそばにくっついて、母が一生懸命夕食をつくるのを見ているのが好きだった。
でも夜父がうちに帰ってくる時間になると、おれは不安で怯えた。

父の帰ってくる足音はすぐにわかる。
おれは台所から離れて、別の部屋に閉じこもる。
母に呼ばれて渋々台所に行くと、父は毎日のように酒を飲んでいた。

父は大抵疲れて不機嫌な顔をしていた。
それでもいつでもおれは明るい顔をして「お帰りなさい」と言わなければならなかった。
そうでなければ父がまた暴れるための口実をおれがつくってしまうからだ。
それでもそれはほとんど無駄に終わった。
父は会社で嫌なことがあったか、家族から疎外感を受けたと感じるか、少しでも自分の価値が傷つけられたと一方的に感じるかすると暴れだすのだ。
それも母のちょっとした言葉や仕草だったり、おれのわずかな表情や態度がいつもその引き金になった。

父の暴れ方はかなり陰湿なもので、子供を直接殴ることはしない。
目の前のテーブルに並べられた母がそれまで手間をかけてつくった料理を、おれたちの目の前で皿ごと手で掴んだかと思うと、一枚一枚流しに向かって力任せに思い切り投げ込んでいくのだ。
ガッチャーン!、ガッチャーン!・・・と凄まじい音をたてて皿は粉々に割れ、料理が四方八方に飛び散る。
そんな父を力ずくで止められる者は誰もいない。
母は泣き、おれは恐怖に凍りついた。

特におれが父の暴れる口実をつくってしまった時はとても辛かった。
「何だ、その顔は・・・!」
おれが父にとって面白くない表情をしただけで、母の手料理が生贄になった。
きっとおれが誰にも愛想笑いを浮かべ相手の感情を探ることばかりが唯一の重要なことになり、自分はありのままの自分になってはいけない、自分の感情も感覚も決して感じてはいけないと決めたのもその頃だったのだろう。

そして大抵はそれだけでは終わらない。
父は泣き喚くおれを台所の床板を外し、漬け物などを保存するために地下にある狭くて暗い室の中に押し込め、板をかぶせ重しを載せて閉じ込めた。
そしておれがその中でどんなに泣き叫んでも、開けてもらえることはなかった。
父が寝てしばらくたってやっと母がその板を外してくれるまでは。
そんな母も父に夜中までしつこくからまれ責め続けられるからだった。

そんな日々を繰り返すうちおれは絶えず自分自身を偽り、父に合わせて演技するようになった。
父がうちにいるだけでいつもおれは責められている気がした。

父には子供の甘えを受け入れる能力がなかった。
それよりも父自身が低い自己評価に苦しんでいて、おれや母が反対に父の歪んだ甘えのかたちを満たす役割にさせられていたのである。
親と子供の役割が逆転していた。
つまりおれが父のお守りをする親にならなければならなかったのだ。

父も子供の頃親に十分甘えさせてもらってこなかったのだろう。
十分甘えさせてもらった経験のない人は、人も甘えさせてあげられない。
父は自分の心の葛藤を家族にぶつけて解消しようとしていた。

父は子供の頃甘えの欲求を十分に満たされてこなかったために、無意識では誰かに甘えたくてたまらなかった。
でも、父は父親であり大人であることを常に要求されていて、意識ではそのことを絶対に認められなかった。
しかし無意識にあったその甘えの要求は激しく、意識と無意識の対立の中絶えず緊張と不安にさいなまれ、そういうかたちとして家族に当たるしかなかった。

そして親と子が逆転したことで今度はおれが自分自身の甘えの欲求を封じられ、無意識に父への憎しみと敵意を抑圧したまま生きていかなければならなくなった。
その結果、幼い日の自分の感じ方を大人になっても他人に対して投影することになった。

そして父への憎しみがやがて意識化されてからも、父に対する心の葛藤はじつに40年以上続いたのだ。