母は手術の後病院に3か月近く入院し、その手術の深い傷や後遺症のために高熱を出したり足に水が溜まってむくんだりを頻繁に繰り返した後退院したが、うちに帰ってきてからも人の手を借りなければなかなか起き上がれない体だった。

それなのに母は人の心配ばかりしていた。
父や、兄や、おれや、兄弟の心配はおろか、枕元に電話を置いて友人の悩みを何時間でも親身になってずっと聞いていてあげるようなひとだった。

母は華道の先生だった。
母が元気な頃一緒に街を歩くと、よく母のお弟子さんのうちの誰かに会った。
その度に立ち話になった。
いつでも嬉しそうに話している母を長い間待つことが多かった。
母はいつも誰といても楽しそうに話をしていた。

何かの集まりがあると、母はいつも自分の手料理や漬け物を必ず持って行った。
また母は老人や足の悪い人を見ると自分がどんなに疲れていてもすぐに、階段でも、横断歩道でも、バスでも一緒に渡ってあげたり、席を譲った。
母は元気な頃、ボランティアで一人暮らしのお年寄りの介護をしていた。

街角で可哀相な人が募金を募っていると、母は必ず募金した。
おれや父が、「そんなに人がよけりゃ、そのうち誰かに騙されちまうよ」といくら言っても聞かなかった。
他人が少しでも困っていそうだったり、気の毒な気がすると何かしないではいられないひとだった。

母は小さい子供が好きでスーパーの中でも、バスの中でも、どこででもよく満面の笑みで話しかけていた。
母はいつもまわりにいる人たちを和やかにしようとしていた。
いつも愛情を持って、やさしく接していた。
母の人生はまるで人のためにあるかのようだった。

母は、花や自然の気持ちがわかるひとでもあった。
家の中や外にいくつも鉢植えの花や植物があり、庭にはたくさんの種類の植物を育てていて、うちの庭はさながら植物園のようだった。
それらを母はまるで自分の子供のように育てていた。
いつも家の花や植物に話しかけていた。
「植物を見るとね、今水がほしいとか、どのくらいほしいとか、今喜んでるのかどうかわかるんだよ」と言っていた。

母は車の助手席に乗ると、街のどこを走っていてもすぐに緑の草や木を見つけた。
「緑をみると、嫌なこと忘れんだよ」と母は言っていた。
辛い時や苦しい時母は植物を見、植物に話しかけていたのかもしれないと思った。

体が動かない時、母は横になったまま空を見ていた。
流れていく白い雲をずっと見つめていた。
母はその時、何を思っていたのだろうか。

その顔は今も忘れない。