たとえばおれが小学校の水泳大会の時25メートルおれが泳がなくても、母はおれを変わらず愛してくれていたはずだ。

おれが目指していた学校に入ろうが入るまいが、どんな成績をとってこようが、どんな会社へ行ったとしても母の愛情には何も変わりはないだろう。

おれが何をやっても、やらなくても母の子供に対する愛情は変わらないだろう。

おれは母からすでに十分愛されていた。
それはもう、おれの一生分でもはるかに余るくらい十分愛してくれていたのではないだろうか。

おれはただおれであるだけで、母に何もかも愛されていた。
おれはただ存在しているだけで、無条件に愛されていた。

だからおれのありのままの自分は、それがどんな自分でも100%始めから母に受け入れられ、認められていた。

おれは母にすべてを認められ、ありのままの自分として何をやってもやらなくても一切関わりなく、無限に愛されていたのだ。