母からもらった愛情を思い出すために、おれは自分の幼い日からのことを順番に思い出していた。
するとそこには母だけでなく、いつも父もいたことに気づいた。
そしていつの間にかおれは、今度は父から受けた愛も思い出していた。

父の愛は幼い頃の自分には全くといっていいほどわからなかった。
その時の父自身も心に葛藤を抱えていて、その愛情はとても不器用なものだったからだ。
でも今のおれには、当時よりはるかに父親の愛情にも気づくことができたことがとても嬉しかった。

父の愛は、家族を経済的にささえていくことだった。
そして妻と子供が飢えないように、路頭に迷わないようにその生活をしっかりと守っていくことだった。

そのために父は朝から晩まで働きずくめだった。
家族のために買った家のローンと妻子を養うために油まみれになって働いていた。

兄とおれを幼稚園からずっと学校に行かせてくれた。
東京でひきこもりでいた時のおれのアパートの家賃をずっと払い続けてくれたのも父だった。

父は幼稚園まで毎朝バイクで送ってくれたり、おもちゃや本を買ってくれた。
おれが野球に興味を持ったのは、父が休みの日になると決まってお寺の境内でキャッチボールをしてくれたからだった。
父の投げた球はとても重かったことを覚えている。

またおれが自転車に乗れるようになったのも、父が近所の高校のグラウンドでずっとつき合ってくれたからだ。

おれが小学校の頃、冬の神社でそりすべりをしたいと言った時、木で手作りで一生懸命に作ってくれた。
それは、他の子供が買ってもらったそりより自分にはずっと誇らしいと思えるものだった。

中学の時の美術の宿題で、おれは何日もかかって彫刻で壁掛けの鏡を作った。
彫刻の板の部分を自分でうっかり割ってしまっておれは泣いた。
翌朝目を覚ますと、それはもう割れたかどうかさえわからないくらいに修復されていた。
母に尋ねると、父が夜中に何時間もかけて貼り合わせてくれていたという。

父はおれが初めて車の免許を取る時も、町外れの河原で車の運転をさせてくれた。
おれがまだ仮免の時一人で無断で父の買った新車を持ち出して猛スピードで橋の欄干にぶつけ、その車を廃車にするほど大破させてしまったことがある。
そのことで警察に交番で朝まで問いつめられた時も随分心配をかけた。
でも父は、自分の車を廃車にしなければならなかったことでおれを責めることはなかった。

そして父は、家族を車で海水浴にも、温泉にも、いろいろな所に連れていってくれた。

長年憎んできてしまった父から自分は、それは不器用であったかもしれないけれど、じつはずっと父親の愛情をもらっていたのだ。

当時のおれは、それを素直にとらえられない自分だった。

でも、いまやっと、その時のことを父に感謝できる気がする。