うちに帰ってきたといっても、母は相変わらず寝たきりだった。
おれたち家族はまだ動けない母の身の回りの世話をする毎日を送っていた。

好きな鮨をとってあげた時、まだ母は1つも食べられなかった。
でも母は食べられずに一人で部屋で寝ているだけなのに、嬉しそうな顔をしていた。
おれは母にどうしてそんなに嬉しそうなのか聞いてみた。
「家族がおいしそうに食べているのを想像していたからだよ。
今私もそこにいて、みんなと一緒に食べてるんだよ」と、母は言った。

母の様子が変わってきたのは退院して5日目くらいだったと思う。
母が少しずつ体の痛みを訴え始めた。
初めのうちはみんなそれは、長期間同じ姿勢で寝ているための床ずれではないかと思い込んでいた。
ところが寝ている姿勢をいくら変えてみても、母の体の痛みはますます強くなっていくようだった。

9日の朝、母を病院に連れていくために前日に予約した寝台付きのタクシーが来た。
母は寝台に乗せてもらう時、タクシーの運転手さんに手を合わせて合掌しながら、
振り絞るような声で「ありがとうございます」と、何度も、何度も繰り返し言っていた。
それが母の生前の、うちでの最後の姿だった。

病院に着いた日のその夜から、母の体はさらに激しく痛みだした。
すでに医者も帰っている時間だった。
母はうめき声をあげ始めた。
痛み止めもその時の母には全く効いていなかった。

おれは病室で一人母に付き添っていた。
夜中に何度も何度も緊急用のブザーのボタンを押した。
病室に来たナースに先生は来ないのかと言うと、明日の朝でなければ来ないと言った。
もっと痛み止めの点滴の量を増やしてくれと頼み込んでも、
これ以上痛み止めを増やす許可が出ないと言う。
外科だけでは無理だと言う。

おれは朝になるまで何度ナースを呼び続けたことだろう。
何度も、何度も痛み止めを増やしてくれることを頼み続けた。
でもそれは聞き入れてもらえることもなく、
ついには何度ブザーを鳴らしてもなかなかナースは病室に来なくなった。
ナースセンターにも何度も押しかけたが、結局答えは同じだった。

最愛のひとが目の前でもがき苦しんでいるのに、おれは何もできなかった。
母の痛みはもう正視できないほどだった。