ニュースでしばしば長年の介護の疲れから起きた心中や殺人といった事件が報道される。

それはとても残念なことだけれど、おれ自身経験が全くないというより10か月介護を続けてきた者として、そういう人たちの蓄積していく疲れというものが少しはわかる気がする。

介護をしている時は、自分の時間などほとんどないと言っていい。
その頃の父とおれの体には、正直言って何か月もの介護による疲れがたまっていた。

それでも自分の母だった。
おれを命がけで産んでくれ、限りない愛情でおれと兄を育ててくれて、家族のために一生懸命尽くしてきてくれた母だった。
それにもとはといえば、おれを産んだ時の輸血がもとで母はここまで苦しんできたのだ。

だから自分のためではなく母のために生きようと、あるいは母の身の回りをすることこそ自分のためなのだとおれはそう自分に言い聞かせながら、疲れた自分の体に鞭打ちながら母のために介護を続けた。

介護はおれにとって自分との戦いだった。
たまっていく体の疲れと、睡眠不足との。

あの頃のおれと父の体は正直言ってへとへとだったと思う。
辛いことも、せつないこともあの頃は何度も経験した。

今思うと、何かに試されていた気がする。
そしてその頃のおれはその見えざる何かと必死で戦っていた気がする。

そしてその時の母もまた、おれたち以上に必死で戦っていたのだ。

母が亡くなって2年近くたって長野のうちを父と後にする時まで、母のために用意した大量の新しい紙おむつをずっと捨てられずにいた。
母の服も、下着も、ところどころに固く茶色に変色した血がこびり付いていた毛布もずっと捨てられなかった。

それは、おれにとってあの頃の母がただひたすら生きるために戦ってきたかけがえのない証しだったからだ。