朝、仕事に出掛ける。
夜家に帰るとすぐに母がいた部屋に直行する。
襖を閉め切って母の仏壇の前に座る。
お経を唱え続ける。

部屋の三方にある襖と障子と真っ白い壁がおれを取り囲んでいる。
自分のお経を唱える声と隣の部屋で時折父が見ているテレビの音が聞こえるだけだった。
たまに父と顔を合わせてももう何の会話もない。
そんな毎日が過ぎていくうちに父と顔を合わせることを次第に避けるようになっていった。

この頃のおれにとって母を亡くした喪失感には凄まじいものがあった。
母は家族のために言葉に尽くせない苦労をしてきた。
手術をしてからのその痛みや辛さは計り知れなかった。
最期には壮絶な苦しみを経て亡くなっていった。
母はおれを産んだ時C型肝炎に感染した。
そして最後にはおれと父が母を追い詰め、死へと追い込んでしまったのかもしれない。
そのすべてのことがその頃のおれに重く重くのしかかっていた。
そしておれは二重、三重に自分自身を苦しめていった。

どこにも救いがなかった。
自分自身がこの先生きていく意味など何も感じられなかった。
その頃のおれは自分が母を死に追いやってしまったのだという罪悪感と、自分と同じように母と家族を長年苦労させ、追い詰めていったと思い込んでいた父に対する憎しみしかなかった。

その頃の自分の心の中では四六時中声が聞こえていた。
おまえがおふくろを追い詰めたんだ。
おまえが産まれてきたからおふくろは死んだ。
おまえさえ産まれてこなければ……。
おまえはおふくろを殺した、殺した、殺した……と。

そして、もう一つの声がした。
おまえの親父がおれたちを追い詰めてきたんだ。
おふくろが亡くなる前におれとのことでおふくろにしつこく絡み続けたあいつがおふくろを追い詰めたんだ。
おまえのおふくろを殺したのはあいつだ、あいつだ、あいつだ……と。

その時のおれにはこの先もう自分が死ぬか、父を殺すしか考えられなくなっていた。
でも自分が死ぬことはどうしてもできなかった。
自ら死を選ぶことはできなかった。
ここでおれが死ねば母が命がけでおれを産んでくれたことも、あらゆる苦労をして一生懸命おれを育ててくれたことも、母のすべてもそれこそ否定することになるからだった。
母のやってきたことのすべてを、そして母の人生そのものを全く意味のないものにしてしまうからだった。
そして母は絶対にそんなことは望んでいるはずもなかった。

父を殺したいと思うこともしょっちゅうあった。
でもそれも決して母が望まないことだった。

おれはますます自分自身に追い詰められていった。