おれは自分もそうだが、父こそが母を追い詰め、殺した張本人だと思っていた。
だからその頃のおれは、憎むべき父と顔を合わせるのが苦痛でたまらなかった。

同じ家の中で父は1階で生活していて、おれの部屋は2階にあった。
居間も、台所も、トイレも、母の仏壇のある部屋も1階だった。

その頃おれは2階の部屋に炊飯器、冷蔵庫、トースター、お湯を沸かすための電動ポットといったものや、包丁、まな板といった調理器具や、食器を揃えた。
そして米や乾物、缶詰などの食料品を用意して、2階の部屋で食事を作り始めた。
父と一切顔を合わせないために食事も生活も別々にした。

物音もなく父がいる気配のない時にトイレに行った。
父が寝た後に風呂に入った。
母の冥福を祈り、お経を唱える時も2階の自分の部屋で唱えることにした。
そんなふうにしておれは父と顔を合わせることを徹底的に避けるようになった。

同じ家に暮らす家族でありながら、1階と2階で全く別々でほとんど顔を合わせることのない生活は、それから2年近くも続いた。

今振り返ると、親子として同じ一つの家にいながら、それはそれぞれが一人きりのとても寂しく悲しい生活だった。
そしてそれはどこまでも孤独で異常な生活だったと思う。

しかしその頃のおれは、父への憎しみと自分への罪悪感の間で引き裂かれそうになっていたのだった。
それは感情に支配されてしまった人間のなれの果ての姿だった。

その頃の自分はきっと壊れていたのだ。