またその当時つき合っていた別の人間が、おれの車を運転したことがあった。
彼は誤って車をバックさせた。
駐車場の壁に激突した車の後部は大破した。
それなのに壊れた車を板金屋に持っていったのはおれだった。

車が修理し終えるのに一か月くらいかかった。
それまで彼からは謝罪はおろか連絡が来たことは一度もなかった。

おれが修理代を請求する電話をかけた時の彼の言葉は忘れられない。
「何でおれが払わなきゃいけないんだ!」
開口一番そう言ったのだ。
そして開き直ってあれこれを言ってきた。
「今おれには金がない」
「おまえも助手席に乗っていただろう」
「おまえもそんなにお金はかからないように見えると言ってたじゃないか」

修理に出すと、バンパーをそっくり取り替えなければならなかった。
昼間明るい所で見ると、いろいろな所がへこんでいた。
塗装代もかかった。
想像以上の代金になったと、おれは彼に言った。
結局おれは彼と修理代を半分ずつ払うことになった。

おれは思った。
おれがもし彼の立場だったらどうだろうかと。
友人の車を運転していてぶつけたとしたら修理に出している間、何の連絡もしないだろうか。
開き直って「何でおれが払わなければならないんだ!」などと言うだろうか。
ましていろいろな理由を付けて払わないで済まそうなどと考えるだろうか。

服を売りつけてきた人間についてもそうだ。
おれが同じ立場だったら、友人に服を高く売りつけておいてさらに吹っ掛けるような真似をするはずもなかった。

要するに彼らはおれのことを決して友人だなどとは思っていなかったのだろう。
そればかりかその頃のおれは、周りにとって都合のいい人間としてしか見られていなかった。
弱く寂しかったその頃のおれは軽く扱われていた。
周りの人間からいつも低く見られていた。
対等と言えるつき合いはまるでなかった。
おれは舐められていたのだ。

おれはそういう人間たちを、なぜ本当の友人だなどと本気で信じてしまっていたのだろうか。