おれは思った。
あの時、果たして父とおれは、母に対してどんな思いを持っていたのだろうか、と。

おれたちは、母に対して、不幸になってほしいと思っていただろうか。
苦しんでくれ、と思っていただろうか。
死んでくれ、と思っていただろうか。

そんなはずはなかった。
そんなことを思うはずもなかった。
二人とも、そんな意思は決してなかったのだ。

おれたちは二人とも、母には一刻も早く健康になってほしかっただけだった。
母に早く元気になってほしかった。
いつまでもずっと笑顔のままで、ずっと長生きしてほしかった。
幸せな人生をずっと歩いてほしかった。

それだけだったはずだ。

そして、父とおれだけでなく、母も、兄も、みんな心の底で家族が幸せであることをいつも望んでいた。
お互いが、家族一人一人の幸せを心から望んでいた。
そのことに、おれはやっと気づいた気がした。

心の奥にあったそれこそが、唯一の真実だったのだ。
そして、きっとそれが、すべてだった。


ただ、あの頃の父も、おれも疲れていた。
疲れきっていた。
そして、あの頃のおれたちには、自分と相手の心の奥底を推し量る余裕すらなかった。

でも、そんな中でも、おれも、父も精一杯だったことだけは確かだった。
あの状況の中で、二人とも母に対して、家族に対して精一杯のことをしていたのだと、今おれは思う。

だから、母が亡くなったことは不可抗力とは言わないけれど、その時のことは仕方がなかったのだと、今のおれは正直に思えるようになった。

あの時は、父も、母も、おれも、みんなぎりぎりだった。
そして、それがどんなかたちであれ、みんな一生懸命生きていたのだ。

だから、おれはもう、あの時の父を許せると思った。
そして、あの時の自分のことも許せると思った。


あの頃、みんな心のずっとずっと奥で、お互いの幸せを願っていた。

どうすれば家族が幸せになるのか、それぞれ一人一人が一生懸命考えていた。
母も、父も、おれも、兄もあの時精一杯のことをやっていたのだ。
一生懸命生きていたのだ。
ぎりぎりまで。

ただあの時は、それが思うようにならなかっただけだ。
あの時、たまたまうまくいかなかっただけなのだ。

結果が、すべてではない。
きっと大切なことは、結果ではないのだ。

そこに、その人と、自分のどんな思いがあったかということだけが、きっと真実なのだ。


人間のあらゆる行動の背後には、必ずその人間の意思がある。

背後にあるその深いところに、その人間のどんな意思が働いていたのかということこそが、その人間の本質なのだと、おれは思う。

だから、誰でも許すわけではない。
しかし、もしそこに善意があるのなら、少なくとも悪意がないのなら、それはなによりも尊重されるべきことなのだと、おれは思うだけだ。

そして、そこにあるものに気づいた時、人間はもともと許せる人を許すことができるのだと、おれは思う。

そのことに気づいた時、おれは何年も許せなかった父を、やっと許すことができた気がした。
そして、あの頃の自分もまた同時に、許すことができた、と思った。

おれは、憎しみと罪悪感のはざまで、何年も苦しみ続けてきた。
もがき続けてきた。

そして、こうして許すことができたのは、こういう捉え方ができるようになったのは、今の自分が、あの頃の自分よりも、多くの学びの中で、はるかに成長することができたおかげでもあると思っている。


今おれは、当時のあの状況を振り返って、自分自身よく許せたなあ、としみじみ思う。
本気で自分を褒めてあげたいと思っている。

もちろん人生において、許すということが唯一の答えとは、おれは思わない。
別に許さなくたっていい。

でも、おれはきっと、あの頃の父と、自分と、家族をずっとずっと許したかったのだ。
本当は、そういう自分が、実は自分の中にずっといたことに気づいただけだったのかもしれない。


あの時、父も、母も、兄も、おれも、おれたちは精一杯生きていた。
みんな家族が幸せであるために、一生懸命生きていたのだ。

ただそれがあの時は、あのような結果になったということだけだ。

だから今おれは、あの頃のすべてを許せる。
あの頃の家族を許せる。
あの頃の自分も許せる。

そう思った。


真実は、いつも深いところにある。