今思うと、おれは、最愛の母が亡くなった喪失感をずっと、父を憎み、自分を責めることで埋めようとしてきた。


実は、罪悪感こそが、どんなに大切なものを自分は失ってきたのか、ということをおれに教えてくれた。

そして、憎しみこそが、おれに愛を気づかせ、あれからの自分を支え、この世に生かしてきてくれたのだ。

ということは、憎しみも、罪悪感も、今までの自分にとっては、なくてはならない必要なものだったということになる。

過去の一切は、今この瞬間の自分を輝かすためのものだったのだ。


今のおれは、自分にとって大切なものが何かわかるようになった。

そして、おれは、今この瞬間、自分がここに生きているというだけで、何物にも代えがたい無上の価値を感じるようになった。

それはすべて自分が悩み、苦しんできた過去のおかげだ。

すべては、今の自分にとって、必要な経験だったのだ。


あの頃から抜け出した今だからこそ、初めて言えることがある。

自分はずっとずっと苦しんできてよかった、と。
悩んできてよかった、と。

他人を殺したくなるほど憎んだことも、
自分を死にたくなるくらい責め続けたことも、
今のおれには、すべていい経験だった、と。

すべては、今この瞬間のためにあったのだから。

今のおれは、素直にそう感じている。


人生に無駄なことはない、と言う言葉に、おれはよく出合った。

そういうことを言う人にも出会ったし、いろいろな本にも載っている。

しかし、おれが今やっとそう思えるようになったのは、おれが自分の人生の中で高すぎる代償を払ったからだった。

この人生には、代償を払ってやっとわかることがある。

そのことを本当に感じるために、おれには多くの経験をする必要があったのだ。
それがたとえどんな辛い経験であったとしても。


そして、そこから抜け出した時、きっと人は、初めて過去の一つ一つが、実は今の自分を輝かすための、かけがえのないものだったことに気づくのだ。