おれには過去にずっと誤魔化していたことがあった。

それは、自分が、心のどこかでずっと自分の弱さを認めていたことだった。
自分が、実は、心の奥ではいつまでたっても自分は弱くていいのだと思い続けていたことだった。

自分の悩みと苦しみは、自分の中の弱さが引き起こしていた。
それなのに、自分は弱くても仕方ないと、どこかでずっと思い込んでいた。
仕方ないとは、あきらめたということだった。
あきらめたら、自分の弱さを容認しているということと同じだ。

おれの場合は、きっぱりと弱い自分を否定しなければならなかった。
弱い自分ときっぱりと決別しなければいけなかった。
それができなかったから、自分はずっと変わらなかったのだ。

そう気づいた時に、やっと出てきた感情があった。
自分は、こんな弱い自分のことが本当は嫌いだったということ。

おれは、弱さに固執するがために、自分を他人につけ込ませ、自分を他人に軽く扱わせてきた自分のことが大嫌いだったのだ。

弱い自分こそ、他人に自分の魂を売った張本人だったのだ。
弱さというものにいつまでも執着し、それをやり続け、自分自身に莫大な損害を与えてきたこの弱い自分を、おれは実はずっと憎み続けていたのだ。

もうすぐにでもそういう自分を殺したいほどだった。
驚くべきことに、それがその時のうそ偽ざる自分自身の本当の気持ちだった。
自分自身の本当の気持ちに、その時おれはやっと触れることができた。

セラピーや自己啓発などでは、よく自分を好きになれとか、自分を愛せとか言うけれど、当時のおれのように弱い自分に辟易してる人にとっては、正直そんなことできるわけがないじゃないか。
悩みや苦しみを絶えず自分自身にもたらしていたのは、いつだってそういう弱い自分だったのだから。

そして、自分に対するそういう感情がある以上、どんな感情であっても決して誤魔化さず自分でそれを正直に受け入れることしかない。
自分の中にあることをありのままに認めることからでしか、きっと救われない。

それができなければ、本当の意味で、自分が自分自身ではない気がする。